archive 記録・レポート

2026年7月12日開催

第6回 遺構と地域の未来を語り合う場をLinkる大熊で開催しました。参加者は54名(会場参加44名、オンライン参加10名)で、その内11名が大熊町民(震災前からの町民・震災以降に移住した町民)でした。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。

【事前フィールドワーク】

(写真提供:藤室玲治)


 保存・活用検討の対象となる熊町小学校等などの遺構は、中間貯蔵施設に含まれているため、少なくとも2045年まで人が住めない区域になっており、普段目にすることが難しい状況となっています。ワークショップを行うにあたり、参加者同士の情報量の差を軽減するため、午前中に熊町小学校などの現地を視察しています。この日は希望者39名に参加いただきました。
まず帰還困難区域内にある遠藤瞭さん(熊小卒業生)の自宅を訪ねました。この日は、帰還困難区域の一部解除の影響でゲートが変わったため遠藤さんの自宅までたどり着けず、道路から眺めつつ説明。2020年代に避難指示が解除される予定です。震災直後の状況や避難指示下での被害、時とともに荒廃しつつありますが、一方で避難指示の解除が進むことで建物の解体も進むため、大熊町の震災前の面影が次第に感じにくくなってきています。
 熊町小学校では、校舎の窓から教室内を見学し、当時のままの黒板や残されたランドセル、靴が残された下駄箱などを見ながら当時の状況を紹介しました。校庭では、桜や記念樹を見てまわり、町民の思い出を紹介しました。

(写真提供:藤室玲治)


 また、熊川区公民館では、福島大学協働プロジェクト学修「大熊町で聴き、語り継ぐ、東日本大震災と原発事故の記憶」に参加する星心さん(福島大学行政政策学類4年)による語り継ぎを行いました。木村紀夫の語りを一部引き継ぎ、自身の実体験も交えた語り継ぎを実践いただきました。

【ワークショップ】
西村幸夫さん(東京大学名誉教授/國學院大學名誉教授)講演

(写真提供:藤室玲治)


◎文化財保存活用地域計画作成から熊町小学校を考える
 大熊町文化財保存活用地域計画(※)策定協議会会長を務められた西村幸夫さん(東京大学名誉教授/國學院大學名誉教授)より、まず地域計画がどのように検討されてきたのか、概要について紹介されました。
 文化財保護法の改正の際に、文化財を保存するだけではなく“活用していく”という大きな転換が行われたと振り返り、法改正の検討の中で西村さんは、各地域で文化財保存活用地域計画を作成することを推進された立役者。大熊町で策定された地域計画においては、「町が激変している中で文化財保存活用地域計画を作成した自治体は、大熊町が初めて」と明かし、歴史・文化を地域の中で活かすことは大切であると強調しました。

 中でも「大熊町の歴史文化の特性」では、特性Ⅳ「東日本大震災及び福島第一原子力発電所の事故がもたらした喪失と復興」が、大熊町資料全てに関わる特性であることを紹介。関係機関との調整が必要なため「教育委員会だけでは決められない」「その流れで検討が始まっているため、熊町小学校が重要なものとして位置付けられていると考えられる」と解説されました。

(※)…大熊町文化財保存活用地域計画の詳細は大熊町のホームページからご覧いただけます。
https://www.town.okuma.fukushima.jp/soshiki/shogaigakushu/32947.html

◎世界に対するほぼ唯一の証言
 熊町小学校の校舎内の状況(2023年)について写真を用いながら説明され、「ランドセルや靴をそのままにする状況は、それほど(地震で)緊急事態だったことが視覚的にわかる」とした上で、世界に対してもメッセージを伝えることができる場所であると評価。
 帰還困難区域によりアクセスが限られているからこそ、原発事故直後の様子が凍結的に残されている点にも言及。地震だけの被災地であれば、遺構は“災害の証言”であると同時に、“復興の中でどういう役割があるか“という二面性があると指摘されました。中間貯蔵施設内の熊町小学校は、「当面はアクセスが限られていること、政策的決定が大きく影響していることが、他の災害の遺構と大きく異なる点である」と語りました。
 原発事故後を伝えるものとして考えると、日本だけの問題ではなく、原発がある国内外多くの地域に共通する問題であるとした上で、世界からも学びに来る来訪者がいるのではないかと期待を示しました。「地元の人たちにとっての“ローカルな価値”だけではなく、“グローバルな価値”も広がっている」と視点を広げ、原発事故がもたらした影響を学ぶことができる場所であることから、「世界に対するほぼ唯一の(原発事故の)証言になり得る」と指摘されました。

◎何を価値として考えるかを見定める
 アクセスが限られているものに対してどれだけの経費をかけるのが正当なのか。通常の文化財保存とは全く異なる考え方が必要。
 震災の日の現実が凍結的に残されていることに意味があるとすると、建物に価値があるのではなく、その「状態」に価値があるのではないかと問いかけました。
 また、校舎内の状態を守るためには、雨漏りを防ぐために屋上防水などが必要であるとし、校舎内に立ち入らずに外から見学するだけであれば、数十年は問題ないのではないかと指摘されました。

◎軍艦島(端島)の事例から
 軍艦島では、西村さんを含め国際的な専門家が集まり、九州・山口の近代化産業遺産の検討を行いました。軍艦島にある建物は、日本の建築の歴史や集合住宅の歴史として重要ですが、全体を残すことは費用面で現実的ではなく、島の下にある坑道を史跡として守ることになったとのこと。周辺環境は崩れるに任せるといった大きな決断が下されました。文化財としては炭鉱の物語に集中して保存が行われましたが、日々、軍艦島を訪れている人たちは、ツアー参加費を払いフェリーに乗り、周辺環境(建築物が朽ちていっている様子)を見学しています。
 熊町小学校においても、あの日の「状態」に価値があるとすると、建物よりも「状態」を守ることが考えられ、時代とともに朽ち果てていく様子を見届けることを提案しました。町の調査結果によれば耐震性には問題がなく、少なくとも2045年までに崩壊する可能性は低いと考えられ、将来中間貯蔵施設の今後を考える時期に、専門家を世界から集め、多様な知見を持ち寄り議論ができることを示唆しました。

◎旧摩耶観光ホテルの事例から
 旧摩耶観光ホテルは廃墟になってから文化財に指定された特殊なケースで、当初、廃墟マニアの聖地になり、多くの人が無断で立ち入ってしまいました。持ち主の企業としても廃墟に費用をかけることができなかったことから、民間がクラウドファンディングをして、防犯システムを取り入れたという。
 熊町小学校でも過去に盗難があったことから、防犯システムの導入を提案。また費用については、教育や世界発信のために貢献できる場所であると情報発信すれば、資金は集まるのではないかとも指摘しました。

◎多様な視点を共有して議論する
 軍艦島は、潮風にさらされたコンクリートの耐久性について研究する場所にもなっています。熊町小学校の場合には、震災前日まで通常のメンテナンスが施され、震災の日を境に何もしなくなったことから、コンクリートの長期変化という研究も考えられます。このように発想を変えることで、様々な方法が生まれると提案されました。世界史的な意味を考えれば、より視点が広がると考えられます。
 世界の人たちに伝える場所として重要である一方で、特定の条件がそろわなければ見学ができないこと、現場で当時のことを語る人や、それを語り継ごうと取り組む次の世代の人がいること、それら現状を含めて「世界に対してのメッセージとなり得る」と語りました。その上で、「ローカルな問題だけで答えを出すのはもったいない。なくなったら終わり」と指摘。グローバルな視点も十分に共有して議論することが求められています。

◎経費をかけずに残置保存へ
 熊町小学校では、アクセスが限られている環境で、なおかつ校舎内の「状態」に価値があると考えた場合、それを守るためには必要最低限「雨漏り防止(屋上防水など)と防犯システムが必要」と語りました。また、昨今メディアで大きく取り上げられた“熊町小を保存するためには25億必要”というような報道は、町が示した選択肢のうち“大規模な改修”を行う場合の最大工事費が独り歩きしたものだとし、「いずれにしても25億というのが出るような話ではない」「まずはお金をかけないで、最低限のことをやって、時間を稼ぐ」と、はるかに少ない費用で保存が可能との見方を示しました。

【質疑応答】
◎人を惹きつける「異質さ」
 学生時代に軍艦島へ行ったことがあるという参加者。「(九州までの交通費やフェリー代など)見学にはコストがかかったが、暮らしが失われている様を見ることで、通常の生活に戻ったときに当たり前の暮らしが色鮮やかになり、軍艦島に行ったあとの自分の変化を感じて、行って良かったと思った」と当時の感想を述べました。軍艦島では、“あるべきものがなくて、普通ならばないものがある”といった「異質さ」があるとし、熊町小学校にも共通していると指摘。ないはずの異形の樹木や、いるはずの生徒の姿がない、という状態。しかしこのような体験は、数値化できない価値であり、現場に行ったからこそ起こる気持ちの変化もあるはずだが、多くの人たちに重要性を感じてもらうにはどうすればよいか?という質問がありました。
 西村さんは、アクセスが限られているため数で出すのは難しいとした上で、「現場に行った人がどう感じたか、心の変化について、拾い集めて蓄積していく。見ることで大きな変化が生まれると言える」と語られました。声を集めて広めていくことが大事。

◎2つの側面から多様な物語が生まれる
 午前中のフィールドワークに参加した参加者は、熊町小学校を訪れて「すでにミュージアム化していると感じた」と感想を述べる一方で、「教室の中を見てもそこまで強い関心が生まれず、それよりも木が異形になっていたり、普通じゃない状態の周辺環境に価値を感じた自分に驚いた」と打ち明けました。教室が語ることと、変わっていく自然環境と、2つの側面がある上で、関心がない層へのアプローチをどのようにお考えか?と質問がありました。
 西村さんは、「受け取る側の個性によって、感じ方が異なる」とした上で、人工物が自然に飲み込まれていく様など、人の手が入らなくなって初めて、社会の中で人間がいかに多くのものを変化させているのかが見えてくるといった視点にも言及。“自然と人間の闘い”や、“記憶と忘却との闘い”、“コミュニティ喪失からの地域の変化”など、人によって関心が向く視点が異なるため、多様な物語を発信していくことが望ましいと語りました。
 このように、多様な視点からつぶさに観察することも、熊町小学校が残されることからはじまる機会であることが共有されました。

◎地元の反応
 軍艦島や旧摩耶観光ホテルなどでは、「滅びゆく美」「朽ちていく美しさ」が価値となっていることを考えたとき、地元住民などのローカルな視点から見ると、「つらい」という声はなかったか、検討の際に配慮したことについて質問がありました。
 西村さんは、軍艦島でも、島を去らないといけない人たちの物語や、在日朝鮮人の物語など、様々な物語があるとした上で、「ローカルな物語がいかに世界の人々にとっても意味があるかということを地元の方にも知ってほしい」と語りました。また、配慮する点については「(携わる人たちが)いかにローカルな物語に敬意を払いながら物語を組み立てていくかが大切」と答えました。

◎その瞬間を表すもの
 もし熊町小学校の展示として、これから大熊町で建設される社会教育複合施設での展示を提案する場合、熊町小学校のどういった点を見てほしいか、または具体的にどこを切り取り展示するのが望ましいと考えるか?という質問がありました。
 西村さんは、「靴やランドセルまで置いていった状況がより切実に訴えるものがある」とし、机の上にあるランドセルや辞書などの学用品や、乱雑にある靴などを例に挙げました。「物というより、その瞬間を表すものだろう」と答えました。
 このことから、熊町小学校の価値は、ある一部を切り取り博物館に収容するような文化財というより、空間や周辺環境に大きく起因していることを改めて感じました。

◎関係省庁とのかかわり
 従来の文化財とは異なると考えたとき、自治体が関係省庁とどのようにかかわることができるか?という質問がありました。
 西村さんは、文化庁は予算が限られていることを前置きし、中間貯蔵施設の管轄は基本的に環境省であることから、まずは環境省との調整だろうと回答。これまで、「環境省としても町の意向に沿いたいという意志を感じた」という見方を示し、「中間貯蔵施設の在り方やバッファゾーン(緩衝地帯)をどう描くのか、地元の声を尊重すると思う」と語った。

グループワーク
 参加者は、県内の学生や、震災後に移住された方、震災前からの大熊町民などが集まりました。熊町小学校などの遺構の保存・活用を通じて、町の未来について語り合う活発な意見交換が行われました。各グループの発表を一部紹介します。

・教育的な場所として整備する
 ランドセルなどの学用品が残っているという様子から、災害の恐ろしさや原発事故について、訪れた人が考えることができる。伝承活動に携わる人も重要な役割であるとして、公的にシステムを整えて人材を確保し、熊町小学校を残すことが望ましい。一方で、語り部に頼るだけではなく、遺構の詳細や「何が起こったのか」をうまく表現できるものも必要。また、世界を意識したとき、海外の人にどのような語り口で伝えるのかも考えていきたい。

・2045年まで多様な視点で議論を重ねる
 「滅びゆく美」という視点に衝撃を受けた。一方で、当時通っていた人たちは、朽ちていく様を見てどう感じるのか、そういう点で価値観の衝突もあり得る。
様々な視点で語られる物語や価値があり、何かひとつの物語に限定しようと拙速に結論を出すと、分断が生まれる。2045年に中間貯蔵施設が終わった際、解体の期限に猶予があるはずで、今わたしたちに必要なのは、価値観を決めつけるのではなく、様々な視点を学ぶ中で2045年までに結論を出すという、心の余裕ではないか。

・語り部の存在
 校舎だけだとどのような物語があるのか、どうしてこの状態になってしまったのかわからない人もいるので、語り部の役割も重要。また、語り部の語りを受け継いでいく必要もある。
 保存・活用を誰が主体的に担っていくべきかについても、考えていきたい。残置保存となった場合、2階の様子も重要なので、直接見られないとしても、様子を感じられる仕組みが望ましい。

・戻るはずだった日常を表現する
 物がそのままの状態になっている様子は、熊町小学校だけではなく、多くの民家でも同じことであったはずで、地震だけであればまた帰宅して日常に戻っていたはず。しかし15年経ってしまった中で、民家はほぼ解体が進み、小学校だけが(地震後に日常に戻ることができなかった)状況を感じる最後の砦である。中間貯蔵施設が2045年まで続く中で、軍艦島のように荒れるに任せてそのまま残していくことが望ましい。(朽ちていく様子を見届けるという方法は、)一瞬で過ぎ去った暮らしの残酷さを表現するために、ひとつの在り方ではないかと考える。

・物語は終わっていないからこそ、変化も伝えられる
 軍艦島の事例と熊町小学校の違いは、軍艦島は物語(課題)が過去のこととして語られているが、熊町小学校および大熊町では、廃炉や中間貯蔵施設の問題など、物語がまだ終わっていないという点。終わっていないため、伝えられるメッセージもどんどん変化していくことが予想されるが、その中でもし解体してしまったらもったいない。急いで結論を出すべきではない。熊町小学校では、今までの営みとともに、震災後の変化を伝えられる場所として重要。
 また、人はそれぞれ価値観や分野が異なるため、熊町小学校があることで入口が広がるという考え方もある。誰にとっても開かれた場所として、多様な問いを育む場所になってほしい。場所がなくなると、知らない人に消失した物事を説明することが難しくなるため、日本人だけではなく、人類の学び舎として残していく。

・行政を動かせる説得材料
まず前提として、熊町小学校はひとつの故郷であり、ある人たちにとって重要な場所。保存を考えたときには、ひとつの目的にとらわれずに多様な目的があるといい。その上で、何のために残すのか、という点を考えたい。
 課題として、行政職員が動かなければ保存が難しいことが挙げられ、行政を動かせる説得材料が必要。また、町民の関心が薄く、住民自身がどういう目的で残すのかを考えるべきである。一方で、あらゆる建物を解体すれば、中間貯蔵施設に含まれた地域には何も残らず、地域の物語が絶たれてしまう恐れがある。

・子どもたちが学ぶ場所として
 防災教育のフィールドとして活用する場合、子どもたちが学ぶことができる環境を整える必要がある。放射線量が高いため車両から見学できる範囲のルートを整備したり、除染をどのように進めるのかも考えないといけない。一方で、記念樹などの樹木はできるだけ残していきたい。また、地元住民の関心が低く、どのように周知・活動すれば保存につながるのかについて話があった。

・行政と残していく
 この場に行政の人が来ていないことについて意見があった。しかし大熊だけではなく双葉郡どこもそうで、やはり民間でまずは動かなければならない。
 防水・防犯の最低限のコストだけと考えると、復興予算などで賄えるはず。費用はあまり問題ではなく、いかに行政を動かせるかがポイントになる。

・合意形成の難しさ
 ローカルな物語とグローバルな物語をどのようにバランスを取っていくのかということが、合意形成の難しさにつながると感じる。双方の視点を丁寧に交わらせることで、合意形成につながると考えたとき、十分に時間をかけて議論する必要がある。

(写真提供:藤室玲治)

***
 西村さんの講演では、大熊町文化財保存活用地域計画の策定から熊町小学校の位置づけを確認し、「熊町小学校を保存することの意義はなにか」「保存にどのくらいの経費をかけるのが適切か」という点についてお話しいただきました。軍艦島や旧摩耶観光ホテルの事例を用いた必要最低限(屋上防水と防犯システム)の保存手法を学んだことで、グループワークの議論が活発になりました。
 また、「ローカルな物語」と「グローバルな物語」という視点で客観的に表現されたことで、災禍の記憶や町の歩みを伝える上での「合意形成の難しさ」に気づく参加者が多数いたと感じました。その上で、「地元で語られている物語や、直面する課題が、いかに国際的な意義があるか」という西村さんの言葉を受け、より時間をかけて議論を重ねることで合意形成に向かう必要性を同時に感じました。また、当事者の語り口に限らず、海外からの来訪者や研究者など、視点を広げることで熊町小学校の多様な物語が共有されるということも、議論のプロセスにおいて重要な点です。
 参加者のグループワークでも、熊町小学校や大熊町の物語や、それらが抱えている問題は未だ継続しているため、町を離れてしまった町民を含め、多様な主体がそれぞれの視点を持ち寄り、2045年まで議論を重ねて結論を導き出す重要性が語られました。
 今後も、中間貯蔵施設内の遺構保存・活用の検討を推進するため、また、町の未来を考える機会としても、本企画を継続していきたいです。

当日の様子は、YouTubeにてアーカイブ映像をご覧いただけます。

【企画の背景】
 東日本大震災被災地などの各地で、災禍を後世に伝えるための遺構整備が行われており、2025(令和7)年度には、大熊町の中間貯蔵施設内の6施設(以下、旧熊町小校舎等)でも、町による保存・活用に向けた検討がなされる方針が報道されています。町は2025年秋頃より、町民や学識経験者を交えた協議会を設置し、町内外の意見をまとめる方針です(「福島民報」2025/4/25他)。
 これまで私たちは、町が検討の対象としている旧熊町小校舎等を、津波災害と原子力災害の伝承のための大切な場ととらえ、伝承活動の実践を行ってきました。そこで町の検討に先立ち、旧熊町小校舎等の保存・活用について、「保存」か「解体」かの単純な二択ではなく、より多様な意見や想いを共有するために、特別企画 「遺構と地域の未来を語り合う場」を全4回シリーズで、おおくまふるさと塾とともに開催しています。
 この特別企画は、旧熊町小校舎等の遺構が、現在生きている人たちや次世代にとってどのような影響をもたらすのか、あるいはどのような価値があるのか、まずは多くの声を集め、共有・発信し学びあいの機会となるよう実施しています。また、この企画で共有された意見は、今後の中間貯蔵施設内の6施設の保存・活用の議論がより充実したものとなるよう、町と共有します。

【今後の予定】
9/12(土)第8回「私たちが足を運び、学んだこと~残ったもの・残せなかったものから大熊の未来を考える~」
学んできた人:山田美香、藤室玲治(福島大学地域未来デザインセンター)、木村紀夫、義岡翼(大熊未来塾)、ほか
@Linkる大熊 多目的ホール

※本事業は、大熊未来塾が取り組む3.11メモリアルネットワーク基金助成事業、Civic Force「NPOパートナー協働事業」として実施しています。
※本事業は、福島大学が受託する福島県委託事業として実施しています。