【報告】もしも、思い出の小学校がそのまま残ってくれるなら~遺構と地域の未来を語り合う場 第5回~
2026年6月6日開催
「遺構と地域の未来を語り合う場」の第5回として、「もしも、思い出の小学校がそのまま残ってくれるなら」をCREVAおおくまにて開催しました。41名(会場参加36名、オンライン参加5名)の参加があり、内8名が震災前からの大熊町民または震災以降からの大熊町民の方でした。ご参加くださった皆様、誠にありがとうございました。
事前フィールドワーク

(写真提供:藤室玲治)
保存・活用検討の対象となる熊町小学校等などの遺構は、中間貯蔵施設に含まれているため、少なくとも2045年まで人が住めない区域になっており、普段目にすることが難しい状況となっています。ワークショップを行うにあたり、参加者同士の情報量の差を軽減するため、午前中に熊町小学校などの現地を視察しています。この日は希望者29名に参加いただきました。
まず帰還困難区域内にある遠藤瞭さん(熊小卒業生)の自宅を訪ねました。2020年代に避難指示が解除される予定です。震災直後の状況や避難指示下での被害、時とともに荒廃しつつありますが、一方で避難指示の解除が進むことで建物の解体も進むため、大熊町の震災前の面影が次第に感じにくくなってきています。
熊町小学校では、校舎の窓から教室内を見学し、当時のままの黒板や残されたランドセル、靴が残された下駄箱などを見ながら当時の状況を紹介しました。校庭では、桜や記念樹を見てまわり、町民の思い出を紹介しました。宮城県から参加した方は熊町小学校を見学し「津波災害を伝える遺構は請戸小ほか、大川小、門脇小などが存在するが、突如として人の営みを根こそぎ奪い、帰ることを許さない原子力災害の理不尽さを目のあたりにしました」という感想を寄せました。

(写真提供:藤室玲治)
また、熊川区公民館では、福島大学協働プロジェクト学修「大熊町で聴き、語り継ぐ、東日本大震災と原発事故の記憶」に参加する星心さん(福島大学行政政策学類4年)による語り継ぎを行いました。木村紀夫の語りを一部引き継ぎ、自身の実体験も交えた語り継ぎを実践。参加者からは「単なる記憶だけでなく、教訓をのこすことの大切さを実感した」という声や、ほか学生からは「星さんが語り継ぎをしている姿を直接見られて、自分もああなりたいと憧れの気持ちがわいた」という声が寄せられました。
【ワークショップ】
◎熊町小学校卒業生と元在校生のトークセッション
熊町小学校卒業生である遠藤瞭さん(震災当時4年生)と、元在校生の大島修治さん(震災当時5年生)から、震災前後のこと、大熊町や熊町小学校への思いを共有いただきました。

(写真提供:藤室玲治)
・自身がこの地域で育ち、暮らしてきた「証」
遠藤さんから、震災前の熊町小学校での暮らしや、震災後は避難先の早急な学校再開により、約半数の同級生と避難先で過ごすことができたこと、「ふるさと創造学」で故郷についてみんなと考えることができたことは、とても重要な経験であったと振り返りました。一方で、避難指示解除とともに思い出の場所がなくなり、会津若松の学び舎も仮設校舎のため当然残すことができない中で、「モノ(建物や景観)がなくなることで時間とともに忘れてしまう」ことから、「熊町小学校は残してほしい」と語られました。
大島さんは、震災の半年前に県外に引っ越しており、直接被災をしていません。震災直後は同級生を心配するも、どう声をかけたらいいかわからず罪悪感に苛まれ、これまで大熊町出身であると表明することが憚れたと、経験を語りました。昨年、社会人となり大熊町で再び暮らし始めた大島さん。遠藤さんの誘いでフィールドワークに参加し、震災後はじめて熊町小学校に立ち入ったときの感動が忘れられないと振り返りました。様々な記憶が蘇り、「数少ない記憶の中の大熊町であった」と語り、ようやく自身が「大熊町で生きてきたこと・熊町小学校の在校生だったことが証明されたと感じた」と、言葉を紡ぐように語りました。
・思い出だけではない価値
遠藤さんは、思い出の場所としての価値だけではなく、震災を経験していない人や次世代にとっても、多様な学びを得ることができる価値があると語りました。一方で、「より多くの人たちに知ってもらうためにメッセージ性が必要だが、現場に立って初めて感じることもあり、価値をひとくくりに表現できない部分もある」と議論の難しさに言及し、答えはないが「考え続けないといけない」と語りました。
大島さんは、「振り返るために思い出がつまった“よりしろ”が必要」とした上で、次世代にとっての価値は、「熊町小学校が存在しつづけることによって生まれる“問い”が重要である」と話されました。技術者であれば、原子力災害のような被害を繰り返さないためによりよい技術を生み出すにはどうするか?という問いが生まれ、映像作家などの芸術家においては、作品を通して次世代の人たちにどのように伝えるかを考える場所になる。熊町小学校は、訪れた人がよりよい世界にするために自分はどう行動すべきか考える場所であり、原発事故だけではなく様々な未曽有の事態に対して、課題解決の手がかりを見つける場所になる可能性を示唆しました。「これからの世界をまちがえないための道しるべになるかもしれない。様々な問いを人々になげかけてくれる場所。そのような機会を次世代から奪ってはいけない」と語りました。
・“故郷としての場所”と、“多様な学びを得る場所”は両立できる
遠藤さんは、多くの方に学んでほしいという思いの一方で、「“多様な学びを得る場所”としての価値を最大限に活かす場合、校舎も校庭も手をつけず、時間経過を見せることが考えられる」「しかし、思い出を感じる人たちにとっては、校舎も校庭も荒れ放題で朽ちていってしまう様子では、悲しい場所になってしまう」と、慎重な活用方法を求めました。また、校舎については「熊町小学校の思い出と一緒に荷物を置いておきたいから持ち出さない」と言った同級生の存在に触れました。学用品などの荷物を含め保存することで、故郷や思い出を感じることのできる場所として、また、多様な学びを得られる場所として、どちらの価値も損なうことなく、両立できるのではないかと問いかけました。
大島さんは、「熊町小学校を見ることで、来訪者自身が主体的に考え、そこから生まれる問いにこそ価値がある」と指摘し、特定のメッセージを届ける場所ではなく、受け取る人によって様々な問いが生まれるような開かれた場所になってほしいと、今後の検討への期待を示しました。また、緑化活動が盛んだった熊町小学校の校庭について言及し、「校庭の樹木は町の歴史を物語るもの。“町の記憶を伝えるアルバム”」「樹木を救済し、将来、校舎は学びの場所として、校庭は人が集う場所として、その様子を対比できるよう」整備することで、2つの価値を損なわずに保存・活用ができるのではないかと問いかけました。
◎グループワーク
参加者は、県内の学生や、震災後に移住された方、震災前からの大熊町民など、多世代の方が集まりました。熊町小学校などの遺構の保存・活用を通じて、町の未来について語りあう活発な意見交換が行われました。
グループワークで出た言葉&テキストマイニングはこちら≫グループワーク_第5回遺構と地域の未来を語り合う場
各グループで話し合われた内容を、福島大学生が発表いただきました。以下、一部紹介します。

・熊町小学校などの遺構にはどのような価値があるか
帰還困難区域や中間貯蔵施設に自宅が含まれたことにより、元の地域に帰ることができない町民にとっては、震災前の暮らしを思い起こすことができる重要な場所である。また、小学校は誰しも通うため、知らない世代も想像しやすい場所として、次世代にとっても重要な場所である。
・意義が伝わるアプローチを考える
世界的にも原子力災害を伝える唯一無二の場所。反対意見の声もしっかり議論を重ねて、バランスとることが重要。自然災害と人災の比較ができると、学びの場所としての熊町小学校の意義が伝わりやすいのではないか。また、大学の研究で「被災者の心に良い効果がある」などの視点から効果を示すことで、前向きに捉えられる人もいるのではないか。コストの問題では、原爆ドームのように知名度を上げていく必要があるのか、また国の予算があればより保存につなげやすくなるなどの意見があったが、継続して考えなければならない問題である。
・「あの“とき”に戻る」ことを意識したまちづくり
中間貯蔵施設内により2045年までどう維持管理するのかという問題の難しさがあると同時に、避難指示解除されたとしても元の場所で再建する町民は非常に限られるかもしれない。しかし、当時の町民がいないからといって、思い出をしのばせる場所を残さないでいいとは考えられない。一時的に帰ってあの時を語りあえるような場として、「あの“場所”に戻る」ためではなく「あの“とき”に戻る」ことを意識したまちづくりが必要。新しい町ができることは良いことだが、どこかで震災前の思い出を振り返り、もとの町民と移住者が一緒になって催しなども企画することで、まちづくりに繋がるのではないか。
・新しい町民も当時を知ることができる
熊町小学校を残す意義は、震災前の思い出と、震災・原発事故の教訓を共存する遺構であるということ。保存・活用の方法は、遺構の現場に立つことで体感できる形を維持することが望ましい。また、記憶の風化を防ぐためにはアーカイブを残すことも必要。写真を集めたり、模型を作ったりすることで、震災前の日常を後世に伝え、新しい町民も当時を知ることができるものになる。
・そこにモノがあるか、更地があるか
場所(モノ)があることはとても重要で、例えば当時を振り返る際に、靴箱や靴が広がっている様子があるのか、更地があるのかでは、想像しやすさが違う。災害を記憶するために、残さないといけない。
・避難先とこれまでを繋ぐ風景(オンライン参加)
震災当時、町内の保育所に通っていたが解体されて喪失感があった。生きてきた証がなくなった感覚を覚え、避難した先とこれまでをつなぐ風景がなくなることは悲しい。
・まずは、議論を深める
熊町小学校の保存を望む人たちと、積極的ではない人たちとの議論を深める必要がある。双方の意見が交わされないまま拙速に結論を出してしまうと、多様な問いも生まれなくなるし、引き返すことができない。今日集まっている皆さんが議論をつづけてくれたおかげで、15年たって自分もこの場に参加して考えることができている。熊町小学校が誰しも通った小学校であることから、被災していない人との記憶と重ね合わせることができるため、突然失われた日常を伝えることができる。

(写真提供:藤室玲治)
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遠藤さんと大島さんのトークセッションでは、熊町小学校の保存を通じて、大熊町で生きてきた証を残したいという思いと、熊町小学校が次世代の道しるべになってほしいという思いを語っていただきました。その声に共鳴するように、参加者のグループワークでは、2つの価値を損なわない保存・活用の在り方について言及されていました。
トークセッションでも、グループワークにおいても、まちづくりの視点で熊町小学校の意義を指摘する声が頻繁にあげられたのが印象的でした。遠藤さんは、「新しい施設ができることや、新しい人が増えていくことに期待をしている」「それと同じくらい、熊町小学校や、町の記憶をしのばせる場所があってほしいという気持ちを抱いている」と語っていました。原子力災害により、震災前後で生活の連続性が断ち切られ、過去の生活を思い出すことが困難になっている中、熊町小学校という場所が媒介することで、今と過去を繋ぐことができるのではないでしょうか。
大島さんは、参加者に対して、「大好きな熊小についてみんなと話せる日が来るとは想像していなかった。対話の機会に感謝」「これは答えのない問題だからこそ、ぜひ価値観をアップデートしながら、今後も一緒に考えていけたら」と呼びかけました。中間貯蔵施設内であることや、財源の難しさなど、あらゆる点で将来の不透明さが議論を難しくさせますが、だからこそ議論をしっかり重ねる必要があると同時に、この検討のプロセスそのものが、大熊町に関わる人々を繋げる機会になっていると感じます。
復興や廃炉など様々な課題が山積する大熊町において、熊町小学校は多様な学びを得られるだけでなく、まちづくりにとっても非常に重要な場所であることが考えられます。それは決して「次世代の負担」としてではない、町内外の「次世代の道しるべ」として存在する意義があるのではないでしょうか。
今後も、中間貯蔵施設内の遺構保存・活用の検討を推進するため、また、町の未来を考える機会としても、本企画を継続していきます。
当日の様子は、YouTubeにてアーカイブ映像をご覧いただけます。
【企画の背景】
東日本大震災被災地などの各地で、災禍を後世に伝えるための遺構整備が行われており、2025(令和7)年度には、大熊町の中間貯蔵施設内の6施設(以下、旧熊町小校舎等)でも、町による保存・活用に向けた検討がなされる方針が報道されています。町は2025年秋頃より、町民や学識経験者を交えた協議会を設置し、町内外の意見をまとめる方針です(「福島民報」2025/4/25他)。
これまで私たちは、町が検討の対象としている旧熊町小校舎等を、津波災害と原子力災害の伝承のための大切な場ととらえ、伝承活動の実践を行ってきました。そこで町の検討に先立ち、旧熊町小校舎等の保存・活用について、「保存」か「解体」かの単純な二択ではなく、より多様な意見や想いを共有するために、特別企画 「遺構と地域の未来を語り合う場」を全4回シリーズで、おおくまふるさと塾とともに開催しています。
この特別企画は、旧熊町小校舎等の遺構が、現在生きている人たちや次世代にとってどのような影響をもたらすのか、あるいはどのような価値があるのか、まずは多くの声を集め、共有・発信し学びあいの機会となるよう実施しています。また、この企画で共有された意見は、今後の中間貯蔵施設内の6施設の保存・活用の議論がより充実したものとなるよう、町と共有します。
【今後の予定】
7/12(日)第6回「熊町小学校に残された、あたりまえの日常を世界の教訓に」
@Linkる大熊 多目的ホール
https://okuma-future.jp/news/2026/06/post-540/
※本事業は、大熊未来塾が取り組む3.11メモリアルネットワーク基金助成事業、Civic Force「NPOパートナー協働事業」として実施しています。
※本事業は、福島大学が受託する福島県委託事業として実施しています。