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木村さん、汐凪ちゃんとの出会い

早稲田大学の髙垣慶太と申します。今年の8月25日の汐凪ちゃんの誕生日には、汐笑BANDのドラマーとして誕生日ライブに参加させていただきました。私は大学に入ってから、福島浜通りに通うご縁をいただき、その活動の中で木村さんと出会いました。

私は広島出身で、高校生の頃から地元の高校新聞部に所属し、被爆者の方々への取材や、被爆建物(被爆建物の詳細はこちら)の保存問題について発信を行っていたことから、福島に大学のワークショップという形式で2021年の11月に初めて訪れる際は、「核兵器のことをやっているのだから、原発事故についても知らなくては」という思いがありました。実際、その後の大熊町役場での餅つき大会や、浜通りの町々を何度か地元の方に案内していただいたのですが、どこか、その明るさに対する違和感がありました。たった10年前に起こった事故と今も住むことの叶わない住民の方々、その一方でとても明るい”復興”の雰囲気。そのギャップについては、今もうまく言葉に表すことのできない違和感ですが、その違和感を素直に言葉にし、また活動に繋げておられたのが木村紀夫さんであると、私は考えています。

提供:崇徳高校新聞部

たまたま、Dialogue for Peopleが大学で開催した浜通り取材報告会で初めて木村さんと出会いました。津波、そして原発事故による全町避難によって犠牲になったご家族のお話を初めて伺い、その2ヶ月後には初めて木村さんのガイドで大熊町に赴きました。

以来、少しでも多くの人に木村さんに出会ってほしい、そして汐凪ちゃんという1人の女の子が、ここに生きていたこと、震災前の町の姿を知ってほしいという思いで、大学のワークショップ開催を通じて多くの大学生を繋げています。また昨年は、大学外で取り組んでいる「世界のヒバクシャと出会うユースセッション」という企画でも、東京での対面イベントにお越しいただき、対面、オンライン参加合わせて300人超の方に、木村さんと出会っていただくこともできました。


<ユースセッションのレポートはこちら

 

広島研修

また、木村さんや大熊未来塾の皆さんと広島研修という企画も行っています。一昨年と昨年の2回実施し、昨年は特に大熊町に震災前から住んでおられる方たちにも来ていただきました。その研修をコーディネートすることが、僕にとって広島と福島を繋げる大切な役割ともなり、木村さんや大熊未来塾に関わるさまざまな思いを持った方々と心を通わせる、そんな機会ともなりました。

広島と福島、起きたことは放射能のことを除くと違うものだと言われますが、共通点も、たくさんあります。「起きた出来事をどう伝えていくか」、「復興とは何か」、そして「どんな未来を生きたいか」・・・。広島には、さまざまな伝え方のアプローチがあり、尚且つ80年近く経つ今もその”伝え方”の試行錯誤や、広島(ヒロシマ)はどうあるべきかというアイデンティティの模索が続いています。

木村さんや秋元菜々美さんから、震災前の風景がどんどん失われていくというお話を聞く時、原爆は一瞬にして街の姿を消す一方、原発事故はゆっくりと街の姿を消していく、時間の差があるだけで、大切なものが失われるという共通点があることにも気付かされます。そんな状況の中、”町の記憶を保つ遺構を残すこと”の重要性を改めて知る機会にも、広島研修はなっているのではないかと思います。

“起きた出来事を伝えていく”とは

戦争や災害で起きる出来事は、どれも「未来に起こり得る」ことを私たちに教えてくれています。また、それらを防ぐためには、伝え続けていく営みがとても大切です。そしてそうした出来事を語るときには、上から広く眺めるようにして知る・学ぶのでは足りず、その場にいた一人ひとりの”個”の視点を大切にしていかなくてはなりません。何かが起きたとき、個人の経験は、被災した人の数だけ異なり、多様です。その経験の1つひとつと出会いながら、初めて経験をしていない世代は、起きた出来事のほんの一端を知っていけるのではないでしょうか。

汐凪ちゃんと木村さんの物語も、さまざまな、これからの社会を形作っていく上で大切にしたい感触や考え方を共有し、絶えず問いかけられています。この活動が、この先も持続可能な形で未来につながっていくよう、僕も自分にできることで応援させていただきたいと思います。