手の届くことから考える
2024年8月25日の木村汐凪さんの誕生日に寄せた文章です。
「わからないこと」が私にはたくさんある。大抵の場合、「わからないこと」は遠くにある。近くにあるように見えても、わからない時には「わからないこと」と自分の間にいくつかの「わからないこと」があって、やはり自分とは距離がある。自分に一番近いところには「少しわかること」がある。なので、私は自分の手の届くことから考えるようにしている。遠くにある「わからないこと」に辿り着けるかどうかはわからないけれど、それが自分にできる最大限の努力だと思っている。
2024年8月25日。私は木村紀夫さんの娘さん木村汐凪さんの誕生日を祝う会に参加していた。どうして参加したのかと言われると、なんとなくだと思う。会について聞かされた時、不思議な会だなと思った。「会」というもの全般に消極的な自分が参加しようと思ったのは、そういう不思議さも理由にあったのかもしれない。誕生日会では、いくつかの曲をみんなで演奏するという催しが用意されていた。演奏もどうかと言われたが、あいにく楽器は何も弾けなかった。歌ってもいいよと言われたが、演奏される曲の中ですぐに歌える曲はなく、よくよく考えたらいきなり知らない人の前で歌を歌えるほど心臓は強くなかった。何もできないなぁと思いながら、何も準備せず当日を待っていた。すると、誕生日会の五日前、紀夫さんから連絡がきた。
「詩の朗読とかのパフォーマンスをしていただけたら嬉しいのですが、難しいですか?」
私は普段、趣味で詩を書いている。何もできないなぁと申し訳なく思っていた私は、
「なるほど!それならできますね、僕の詩でよければ!」
と二つ返事で答えた。
返信をしてから気づいたが、誕生日会まであと五日しかない。これまでに書いた詩を読んでもいいかと思って詩を見返した。だが、どうにも暗い詩ばかりで誕生日にはふさわしくないと思った。こうして、汐凪さんの誕生日を祝う会で朗読をするために詩を書きはじめることになるのだが、ここからは詩を書くという行為の中で自分が考えていたことを書いてみようと思う。正直、今回の寄稿文で何を書けばいいのか、わからなかった。なので、いつものように自分の手の届くことから考えてみようと思った。今回の誕生日会で自分ができたほんの少しの協力が詩の朗読で、そのためにしたことが詩を書くこと、である。自分の手の届くそのことについて、考えてみる。
どんな詩を書こうか。誕生日だから、祝った方がいいのか。誕生日、という詩を書いた方がいいのか。誕生日とは、誰の、汐凪さん、汐凪さんっていうのは、紀夫さんの娘さん。私は震災当時、小学六年生で熊町小学校に通っていた。汐凪さんと同じ小学校とはいえ、当時面識はなく、私はその存在について紀夫さんを通して知っていた。端的に言えば、私は汐凪さんのことがわからなかったのだ。わからないときは手の届くことから。私は紀夫さんのことを考えた。紀夫さんを通して汐凪さんを祝うか、紀夫さんを通して汐凪さんに言葉をかけるか。これも上手くいかなかった。紀夫さんから見た汐凪さんというのが、私にはわからなかったからだ。もっと手の届くことを考えなければ、そう思った。この会について、「不思議な会だなと思った」と先に書いた。その不思議さについて私は考えてみることにした。それは、ある意味では「わからないこと」なのだが、気になっているという点で少し手が届きそうだ。しかも、それを考えることで不思議さの中にある「わからないこと」が少しわかるかもしれない。私は詩を書くことで「わからないこと」に近づこうとした。
まず不思議だったのは「誕生日」を祝う、ということだった。亡くなった方の「誕生日」を祝うという経験は、これまでの私の人生にはなかった。このことに思いを巡らせれば巡らせるほど、自分の中で一つの感覚が確かなものとして浮かび上がってきた。それは言葉にするならば「生きている気がする」という言葉だった。おそらくだが、紀夫さんというひとの中で汐凪さんは生きている、と思う。紀夫さんの心のうちを僕は見ることができない。なので、それがどんなふうに生きているのかはわからない。けれど、紀夫さんが「誕生日」を祝おうとすることを通して、僕にも汐凪さんが「生きている気がする」と思えた。詩を考えていく中で「生きている気がする」は「きっと生きている」に変わり、詩を書いていく中で「きっと生きている」汐凪さんと言葉をやり取りしていた。
今回、誕生日ということでプレゼントをもっていった。本というのはすごいもので、どんな本であってもプレゼントとして渡すと何かが成立した感じがする。プレゼントを考えるのが苦手な私は誰かの誕生日にはいつも本をプレゼントしている。今回も本を一冊もってきた。震災当時、小学一年生だった汐凪さんは今回の誕生日で21歳になる。21歳と言えば、自分の将来について本気で考え、本気で悩んでいるところだろうかと想像した。なので、そういう本をもってきてみた。本をもっていこうと思い立ってからずっと気になっていたのは、汐凪さんは本を読むのだろうか、ということだった。これは汐凪さんが本をよく読む人であるか、ということではない。2024年現在において、汐凪さんが本を読むということはどういうことか、ということである。汐凪さんは本を読むのだろうか。このことについて詩を書きながら考えていた。答えはわからなかった。むしろ、わからないということが答えだった。そしてそれは、だからこそ「信じる」という領域の出来事なのだと書きながら思った。わからないことがたくさんある私にとって、だからこそ「信じる」という領域が生まれるというのは少し希望に思えた。誕生日プレゼントという手の中にあるものから、汐凪さんは本を読むのだろうか、というわからないことを考えた。結局、答えはわからなかったけれど、一篇の詩が書けた。
二篇の詩が書けて、当日の朝を迎えた。もう一篇くらい書けないだろうかと頭をぐるぐるしていた。お父さん、という詩を書こうとしたり、汐凪さんに語りかけようとしたりしてうまくいかず、ボツ作がいくつかできた。朝のシャワーを浴びながら、今日という日について考えていた。誕生日、それは特別な一日だなと思った。同時に関係のない誰かにとっては当たり前の一日だなと思った。特別と当たり前がミルフィーユのように層をなして世界を形成しているように思えた。特別な一日、という書き出しで僕は詩を書き始めた。書き終えて、読み直して、ボツにした。今日読む意味がないなとなんとなく思った。何も思いつかないまま集合場所に車を走らせた。結局、今日の会はなんなんだろうと、ふと思った。最も根本的なことがわかっていないまま僕は今日を迎えていた。今日、僕は何をするんだろう。たぶん、今日という日のことがわからないまま「おめでとうございます」と祝うんだろう。そう思った。そのことを書いてみようと思った。会場に着いて皆さんが設営の準備に忙しく動き回る中、一人ベンチで詩を書いた。出来はどうかわからない。けれどなんとなく、読もうと思う詩が書けた。
やっぱり私には「わからないこと」がたくさんある。これからもきっと、それは遠くにあり続ける。「わからないこと」を見つけるたびに、変わらず手の届くことから考えてみようと思う。そして、少しでも「わからないこと」に近づけたらいいなと思う。それはきっと水平線のようなもので、近づけど近づけど辿り着くことはない。だからこそそれは美しく見えるのだろうし、辿り着けないからといって、その存在がないことにはならない。遮るもののない見渡すかぎりの水平線をみてみたい。その景色の前に立ち尽くして、美しい、と声に出して言いたい。今はまだ、目をつむってしまいそうな気がする。
重なりの縁(ふち)
今年の盆
遺骨のなくなった祖母の墓を
参った
空っぽになった墓に向かって
手を合わせた
何もない空を目がけて
ありがとうございます、と
伝えた
今年の今日
家屋のなくなった友人の家を
尋ねる
植えられた花の真ん中で
詩を詠んでいる
何もない空を目がけて
おめでとうございます、と
呟く
届くことのない対岸に向かって
わかろうとする
クロールを続ける
溺れそうな私の片手を
誰かがきっと掴んでくれる
溺れそうな誰かの片手を
私もきっと掴もうと思う
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読書屋 息つぎ 店主