体当たりを間近で見ること-大熊未来塾誕生秘話-
この記事は2021年8月15日に発行された「SoiL vol.1」に寄稿いただいた文章です。
木村さんによると私は「おだて上手」らしい。自分ではそんなつもりはないのだが、確かに木村さんと話していると、次々と出てくるアイデアに感銘を受け「それ、面白そうですね!」などと言っていることが多い。そうやって盛り上がっているうちに、木村さんの盛り上げ役になった節はある。でも、それが大熊未来塾誕生のひとつのきっかけなったのであれば、有難い役回りだ。
ここで大熊未来塾誕生秘話をしたいのだが、私も正直全貌がよく分かっていない。なので、私が木村さんとのやり取りを通して知っている部分のみを書かせてもらう。
私は、ライフワークとして「1/10 Fukushimaをきいてみる」という記録映画をシリーズで撮っていて、今までに7本の長編を完成させた。木村さんは、そのうちの2本に登場した。木村さんにとって、また私にとっても大事なターニングポイントになったのは、その映画を上映していた2019年12月の午後のことだった。
その日は、木村さんにゲストとしてトークをしてもらった。木村さんはいつものようにじっくりと観客の心をつかんだ後、「最後に・・・」と言って重大な報告をした。木村さんのご自宅があった大熊町に、希望者を募ってツアーをする、いわゆるスタディツアーの計画だ。
ただ震災や原発事故を伝えるのではなく、もっと積極的にこの土地に興味を持ってもらいたい。そしてゆくゆくは、再び子供たちの笑い声が聞こえる場所にしたい。それが、まだ全て見つかっていない次女、汐凪ちゃんが眠る土地に対して果たすべき使命のように木村さんは感じている。
しかし、それをどう形にするか。願望だけでは前に進まず、声をあげても時間と共にかき消されてしまう。木村さんは身体を使って実際に人を連れ、様々な矛盾を抱えた土地を案内することで、体当たりで風化の流れに抗い、その願いを実現しようとしていた。おだてている訳ではないのだが、その覚悟は何かを変えると感じられた。
上映会にギリギリ間に合わせたチラシの効果もあってか、早速ツアーに行ってみたいと言うお客さんが手をあげてくれた。しかし、このツアーにはいくつか問題があった。まず、木村さんが配ったチラシには2020年春くらいという漠然とした日程しか書かれていなかった。まだ具体性のない『アイデアの段階』だったのだ。
そしてもうひとつの問題は、ツアーのメイン会場が福島県大熊町という帰還困難区域であること(一部は避難指示解除 )。つまり「放射能のせいで住人が帰れない」とされる場所なのだ。放射能が人体にどう影響するかは木村さんにも分からず、それだけに若い人を呼ぶことに対してためらいがあった。ところが、木村さんのメインターゲットは若い人たちなのだ。これからの社会をつくる人たちに見てほしい。そう願っていた。これらの問題は後に新型コロナウィルスによって大逆転し、見事に解決する。だが、その時点ではまだ暗中模索だった。
2020年の春は近い。木村さんと私は、スタディツアーの準備を始めた。先行して現地取材もスタートし、参加者を運ぶ車両の見積もりなども進めた。その過程で、ツアーの決行日がゴールデンウィークに設定された。
木村さんが気にしていたのはふたつ。ひとつは、放射線量がまだ高い場所もある大熊町に人を連れて入ること。そのことを参加者にもよく考えてほしい。そこで、木村さんは自らをサンプルとして被ばくの数字を示し、被ばく量の説明などを丁寧に書いた冊子も作った。でも、それで「安心して来てください」ということではない。「自分で『大熊町と原発事故』のことをよく考えて、親御さんも一緒に話し合ってください」というメッセージ。それがツアーの 『入口』になった。
もうひとつ気にしていたのは、町との軋轢。参加者が放射能のことを承知したとしても、大々的にツアーは出来ない。大熊町は、まだそういう受け入れ体制が出来ていないのだ。町との摩擦を木村さんはずっと気にしている。「異端児が大きく動き出した!」という感じを醸し出さないように気をつける必要がある。
おまけに旅行業法の面からも「ツアー」とは呼べないので、違う体裁を取らなければならない。更に帰還困難区域に入れる人数も制限されている。今回の計画では車2台、人数は10人くらいとした。だんだんこの企画が具体的になってきた。
ところがだ。2020年に春は新型コロナとともに訪れた。決行予定の5月は、今から振り返ってみると第一波の終わり、第二波との間だった。当時は先が読めず、どうなるんだこの先は?という微妙な状況。物理的な移動には慎重さが問われた。
スケジュールが再びぼやけてくると、木村さんは作戦を大きく変更した。ツアーをオンラインに切り替える。参加者が自宅にいながら、ネットを通して大熊を体験する。そうすれば木村さんの語りを充分に堪能できるし、参加人数も無限に増やせる。2時間で配信すると伝える内容も限られるので、シリーズ化する。最初の開催は5月6日と決まった。ここまでを木村さんは実にスピ―ディーに決めていった。
このアイデアが何より素晴らしいのは、木村さんが最も気にしていた「参加者を帰還困難区域に入れる」というハードルを消し去ったこと。若い人も、放射線量を気にして躊躇した人も参加できる。新型コロナウィルスの
影響を逆手に取ったのだ。
かくして、初回の配信は盛況だった。たくさんの人がネットを通して木村さんの言葉に耳を傾け、大熊町を一緒に歩き、共に時間を過ごした。スタッフの皆さんのフォローも素晴らしく、オンラインツアーはとても上手くいった。
未来に向けられた目線。「使い捨て」文化に対する抵抗。「残すこと」に価値を見出し、自分で生み出す楽しさを探求する。これらは、木村さんが2020年に表現した全てのものに含まれている。この1年の間に、オンラインツアー、授業、講演、絵本、YouTube、ショートフィルムにまで手を出した。これほど短期間に、これほどたくさんのことに挑む人も珍しい。活動の幅を広げては、「自分の脳の限界だ」と疲労困憊する木村さん。それでも突き進み、ブレずに中身が一貫している人も、私のようなクリエーターから見ても珍しい。(おだてているわけではない)
木村さんが語る未来は、理想が高い。でも一歩ずつ人を巻き込んで行動し、数か月後には「どうにか出来た!」と既成事実を作ってしまう。後に続く若い人たちも、「理想が高くても遠のくことはない、こうやって手繰り寄せられる」ということを肌で知るのではないだろうか。
この塾は、木村さんのそういう体当たりを間近で目撃し、みんながそれを助け、次第にそこから学びを得る、そういった場になってきた。私も塾生として、これからもたくさん学ばせてもらいたいと思う。
- プロフィール
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1973年東京都生まれ。グラフィックデザイナーを経て、2009年に戦国武将が段ボールで25mの城を建てる物語「築城せよ!」 (主演・片岡愛之助)で劇場映画監督デビュー。長編映画や企業のプランデットムービーを多数監督するかたわら、ライフワークとして福島の10年を取材する記録映画「1/10Fukushimaをきいてみる」を発表。
10本のシリーズ中、これまでに7作品を完成。全国で無料上映をしている。