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この記事は2021年8月15日に発行された「SoiL vol.1」の文章です。

8月の炎天下。福島県大熊町の海岸近く。突き抜けるような青い空をさえぎる物は山以外なにもない。余すことなく降り注ぐ日差しに包まれ、私たちはクラクラしながら歌って、演奏して、踊った。

この日、2011年の津波で犠牲になった当時7歳の木村汐凪ちゃんの誕生日が近い休日を使い、彼女の家があった場所で、彼女の名前から連想される曲や、かつて口ずさんでいた歌を演奏した。父親の木村紀夫さんの呼びかけで集まったこの1日限りのバンド「汐笑BAND2021」は、新型コロナ感染拡大を懸念し本番までそれぞれ個人練習を重ね、本番を迎えた。披露する相手であるお客さんも、感染防止のためごく少ない関係者だけに声をかけ、小規模での開催となった。

中学生以来のトランペットを息も絶え絶えに吹きながら私は、ふと思った。ここは、かつて人々の営みがあった場所であり、地震後の津波と原発事故により、何にも変えられないたくさんの人の時間が失われてしまった場所であるということを。もしかすると、原発事故がなければ失われることがなかったかもしれない命もあるという現実は、誰かの命の代償の上に、自分の暮らしが成立しているということを私たちに突きつける。

そんなことを考えていたのは私だけではなかったはずだ。集まった人間のほとんどが、写真の中で満面の笑みを浮かべている汐凪ちゃんにしか会ったことがない。そんな私たちを彼女はどんな眼差しで見ていただろう。どうしたって答えはわからないけど、不思議なほど私たちの中から笑顔があふれ、あたたかい光のような時間が過ぎ、それだけで答えなんじゃないかと思った。

読み手のあなたからすれば、なぜ?と思うかもしれない。悲しくて、つらい場所であるはずなのに、なぜ笑っているのか、と。それは、姿形が見えなくても、汐凪ちゃんを感じることができたからなのかもしれない。会ったこともない、この先も会うことのない彼女に、音にのせて、風にのせて、この胸の奥があたたかい様を共有できただろうか。

誰かの命を犠牲にして学びを得るなんて、なんて残酷なのだろうと思うけど、事実、ここに彼女は私たちが学ぶべき教訓を残してくれた。そうさせてしまったのは、この社会の構造に生きる私たちかもしれないということも、同時に気づかせてくれた。手をかけてここを残すことで、汐凪ちゃんを生かし続けたいと改めて感じた。

来年再来年、いつになるかわからないけど、いつかもっと多くの方とこの時間を共有したい。バンドメンバーの皆さん、練習しなくっちゃね。来年もよろしくです!

文:義岡翼

 

「汐笑BAND2021」
vol. 笹木一信
gt. 佐藤慧
bass. 木村紀夫
dr. 寺澤亜彩加
tp. 義岡翼
ukulele,maracas. がーすー
ag. 中村文洋
オンラインサポート
key. 根元和音
sax. 小林夏紀
piano. 久保美幸