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2024年12月1日開催

12/1大熊町にて「沖縄・福島 なにを聞き、なにを語るか」を開催しました。

聞き書きや継承に関心のある方を募集したところ、当日は32名もの参加者にお越しいただきました。ご参加くださった皆様、本当にありがとうございます。今回は、講演だけでなく参加者同士の意見交換の時間も設けたため、非常に深い話し合いが行われ、とても濃い時間となりました。

◎話題提供「つぶやきを聞き、書く」

まず、石川勇人さん(沖縄出身・大阪大学大学院 人文学研究科)に、沖縄戦の聞き書きに取り組む上で大切にしていることや課題についてお話しいただきました。

故・吉浜忍先生からの教訓として、語り手の変化を見逃さないことや、語ってくださる方との関係性づくりを大切にすること、事前調査をした上で取り組むことが、まず大前提であるとご紹介いただきました。
全く異なる経験ではありますが、これらは福島や他の地域で聞き書きに取り組むときにも、大切なことと感じます。

講話の中では、実際の体験者のお話しにも触れながらお話しいただきました。

3か月以上の長期的な戦争であったことから、生きるために6か所を逃げ回りながら避難した方もいます。北部中部南部、そして離島で、同じ沖縄でもそれぞれ異なる戦争体験をしている中で、住んでいた地域だけでは、語りが完結せず、「一つの地域の体験」として切り取ってしまうと、大事な証言を見逃してしまう恐れがあると感じました。

また、「切り取る」という点では、体験者と聞き手の間で、「沖縄戦の経験」のイメージが異なることもあると、お話しをうかがっていて感じました。
自分の行動により甥っ子を犠牲にしたと語った方は、今でも毎晩思い出してしまう。「平和の礎に名前を刻むことができない」と明かします。別の体験者からは、「爆弾を落とされたときだけが沖縄戦じゃないんだよ!」とお叱りを受けたこともあるとのこと。
このように、聞き手の中でシナリオがあり、つい戦中のことだけを聞いてしまったり、メディアなども戦後の基地問題だけを取り上げてしまうけど、体験者にとっては戦中だけでなく戦後もすべてつながっているということ。福島でも通じることが大いにあると感じます。

一方で、「沖縄戦を語らされる」という証言者の存在にも触れ、県内の諸問題によって語らざるを得ない状況になることも、また現実であると指摘されました。

ここからはこの記録をした義岡が感じていること。
きっと忘れたいし考えたくない人のほうが多いはず。東北被災地でも、「語らされる」場面は多くあると思います。たとえば、非体験者が体験者の経験を聞くことで、「聞いた人(が語りを聞いたあと)の人生にプラスになる」という視点で、防災減災の視点を中心にクローズアップされます。それは事実だし、とても大事な視点だと思うのですが、「教訓のための犠牲ではないよなあ」「ただ語り手さんを消耗していないか」と、いつもモヤモヤしていました。

それでも、信頼関係を築いた先で、語り手が語ってくれた言葉(もしくは語りたいこと)があり、日常的な「つぶやき」に隠れた体験・苦しさを、大事にこぼれ落ちてしまわないよう書き留める、石川さんのような取り組みもある。戦前の暮らしから戦後の苦しみを踏まえ、日常がどのように奪われていったのかが、そのつぶやきによって垣間見えてくることも「たしかにその人が生きていた証を書き留める」「光があたりにくい声」という言葉もよく口にされていましたが、大熊未来塾での聞き書きも、それらを大切にして取り組みたいと、実感しました。

◎パネルトーク

つづいて、前川直哉さん(福島大学 准教授)と木村紀夫(大熊未来塾 代表理事)とともに、3名でパネルトークを行いました。はじめに、前川さんと木村より、簡単な活動紹介と、福島や大熊町での聞き書きや継承について、課題と感じていることを紹介いただきました。

前川直哉さん(福島大学 准教授)

震災と原発事故による「福島の教訓は何か」と考える際、ひとことでは表すことができない難しさがある、という問題提起をされました。さらに、ほかの東北被災地とくらべ復旧復興が遅れる中、現在福島で進められている「復興にむけた取り組み」と「教訓の伝承」の間に、ある種の緊張関係が生じるケースもあると指摘。

様々な背景や経緯があった中で、本質的な教訓を追い求めることが、「復興を妨げるのでは」というためらいにつながる可能性も、継承活動を難しくしています。

木村紀夫(大熊未来塾 代表理事)

大熊町への来訪者に語っていることについて紹介がありました。自身の災害での経験はもちろんですが、むしろ災害のあとに感じたことが語りの中心です。とくに、沖縄とのつながりが生まれた時期から、広島、水俣、ほかの東北地域や長崎にも足を運んでいますが、そこで得たつながりや受け取った語りが重要な要素となっていることも事実。

2022年の沖縄訪問の際、大熊町民で沖縄戦により亡くなった犠牲者を調べ、平和の礎で実際にその4名の名前が刻まれていることを確認しました。自分の同郷の日本兵が、逃げ惑った先で亡くなったかもしれない、または、生きるために住人の命を奪ったかもしれない。誰しもが被害も加害も背負う可能性が常にある。沖縄戦が身近になるとともに、「原発誘致の前を踏まえて語っていく必要があると実感した」と語りました。

モノ・語り手・聞き手の関係

ほとんどの場合、語り手さんからは「この話を誰かに伝えてね」という言葉を受け取ります。しかし、登壇者3名からは、沖縄でも福島でも、第三者に伝えたいとき、自分が代弁する形の「語りだけでは足りない」という言及がありました。

「モノ(遺構)」がある状態で語る内容と、ない状態で語る内容は大きく異なり、災禍を経験した建造物や街並みをのこす重要性が共有されました。もちろん、その「モノ」を活用して語る「語り手」も重要であり、語り手が語るための「聞き手」もいないと、継承は成り立ちません。「モノ・語り手・聞き手」の三つが欠けることなく、どれも大事に守り活発化すること、同時に聞き手の育成も、継承にとっては有効であるというお話しもありました。

沖縄では、証言活動がさかんな地域を中心に遺構保存がされており、壕を文化財指定するために住人が動いた地域もあります。一方、大熊町の避難指示解除地域のように、施設や樹木の解体撤去および新しい施設の造成が行われており、さらに、住人の大多数が町外に避難しているなどの事情から、沖縄と比べると心理的に足並みを揃えることがまず難しいのが現状ですが、あきらめずに町民を中心に声をかけあうことが大切だと勇気をいただきました。

◎グループワーク

グループワークでは、参加者の皆さんで意見交換していただき、今日感じたこと・なぜ記憶をのこす活動に関わりたいのか・実際に活動で大事にしたいと思ったことについて、話し合いました。

全体共有では、「(復興により多くのものが消えているが)双葉郡は放射能汚染により復興が遅れている分、のこす取り組みは今からでも手遅れではないかもしれない」という声や、「(積極的に)場をのこす活動していかないといけない」という大熊町民の声など、地域の遺構保存について言及がありました。ほかにも、大熊町民の沖縄戦戦没者に思いをはせる木村を受け「自分の中にある加害の可能性に気づいたという声があり、原発事故を語る際の視野を広げていく必要があると感じた」との意見がありました。

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とても長い報告になってしまいました。継承にかかわる身として、また、震災と原発事故が起こった時代に生きている身としても、大事なお話しをたくさん共有いただきました。登壇いただいた石川さん、前川さん、そして遠方からも近場からも足を運んでくださった参加者の皆様に、深く御礼申し上げます。