【記録】遺構と地域の未来を語り合う場 第4回 シンポジウム
2025年10月19日開催
第4回「遺構と地域の未来を語り合う場」シンポジウムを、Linkる大熊にて開催しました。会場参加57名、オンライン参加19名の合計76名(内14名が震災前からの大熊町民または震災以降からの大熊町民)のご参加がありました。ご参加くださった皆様、誠にありがとうございました。
報告として本記事をまとめましたが、登壇者みなさんの深い議論は表現しきれていない部分があると思いますので、ぜひ以下のアーカイブ映像もあわせてご視聴ください。
当日のプログラム
「はじめに 本シンポジウム開催趣旨と経緯の説明」
発表:遠藤瞭さん(熊町小学校卒業生)
<話題提供1>
「大熊町文化財保存活用地域計画と中間貯蔵施設内遺構保存活用検討の概要とその意義」
話題提供:菅井優士さん(大熊町生涯学習課 社会教育係 副主任学芸員)
コメント:窪田亜矢さん(東北大学大学院工学研究科 教授)
<話題提供2>
「復興の基本方針
~記憶と教訓の継承、風化と風評、帰還・移住・交流/関係人口・観光/ホープツーリズム~」
話題提供:新居泰人さん(復興庁 統括官)
<パネルディスカッション>
「遺構と地域の未来を語り合う―未来に残したい、わたしたちの学び舎」
パネリスト及びコメンテーター(順不同):
星 心さん(福島大学行政政策学類3年)
遠藤 瞭さん(熊町小学校卒業生)
渡部 正勝さん(おおくまふるさと塾 代表)
木村 紀夫さん(大熊未来塾 代表理事)
苧坪 祐樹さん(大熊町生涯学習課 社会教育係 副主任学芸員)
南郷 市兵さん(義務教育学校・認定こども園 福島県大熊町立学び舎ゆめの森 校長・園長)
窪田 亜矢さん(東北大学大学院工学研究科 教授)
佐藤 翔輔さん(東北大学災害科学国際研究所 准教授)
新居 泰人さん(復興庁 統括官)
ファシリテーター:
藤室 玲治さん(福島大学地域未来デザインセンター特任准教授)
はじめに 本シンポジウム開催趣旨と経緯の説明
はじめに、遠藤瞭さん(熊町小学校卒業生)から、自己紹介と、これまで開催してきたワークショップの報告がありました。
震災当時は熊町小学校4年生で、教室で地震を経験し、その後、会津若松に避難した熊町小学校・大熊中学校を卒業。その後、広野町に設立されたふたば未来学園高校へ入学を希望した理由として、「震災の避難があまりに唐突だった」「ふるさとについて考えたい。友達と共有したいと思った」と振り返りました。それからも、中間貯蔵施設内に含まれてしまった旧熊町小学校の校庭・校舎が今後どうなるのかについて、ずっと自身の関心ごとだったと明かしました。
遠藤瞭さんは、2025年4月、旧熊町小学校を含む遺構保存・活用の検討が始まるという報道を耳にしたことから、おおくまふるさと塾、大熊未来塾、福島大学地域未来デザインセンターとともに本企画「遺構と地域の未来を語り合う場」の企画運営に携わっています。
シンポジウムを開催にあたり、「これまで共有されてきた旧熊町小学校の価値や、保存・活用の方法、そしてそのたびに見えてくる課題について、関係者とともに意見交換を行い、今後どのように進めていくか、皆さんと共有したい」と意気込みを表明しました。
※過去のワークショップ第1回、第2回、第3回の様子は下記よりご覧いただけます。
・7/26第1回「熊町小学校『みどりっこ』復活にむけて」
報告記事≫https://okuma-future.jp/archive/2025/08/post-273/
・9/6第2回「のこされた学校から『記憶』をたどる」
報告記事≫https://okuma-future.jp/archive/2025/10/post-322/
・10/12第3回「そこにある『価値』広島から」
報告記事≫https://okuma-future.jp/archive/2025/11/post-355/
話題提供:大熊町教育委員会
「大熊町文化財保存活用地域計画と中間貯蔵施設内遺構保存活用検討の概要とその意義」


菅井優士さん(大熊町生涯学習課 社会教育係 副主任学芸員)より、大熊町文化財保存活用地域計画の概要と、中間貯蔵施設内の文化財の位置づけをご紹介いただきました。除染にともない景観が大きく変わる中、通常なら「文化財」にならないようなものでも「町の成り立ちのピースとなり得るもの」は収集の対象とし、大熊町文化財保存活用地域計画の検討が進められてきました。現在、計画の策定にむけ、文化庁との協議が進められています(2025年12月19日 文化庁より認定済み)。中間貯蔵施設内の文化財については、文化財的な観点に限らず、様々な視点から検証をし、町民を含めた協議会を立ち上げ、保存活用を検討する方針が示されました。
大熊町文化財保存活用地域計画策定協議会の委員を務めていた窪田亜矢さん(東北大学大学院工学研究科 教授)もコメントし、大熊町において震災前の暮らしを含めた文化を保存することの重要性を確認。旧熊町小学校の保存活用においては、原子力災害を一人一人が自分事として考え、「新しい文化財にしていく」ことが求められていると問題提起しました。
※大熊町文化財保存活用地域計画の詳細は、下記よりご覧ください。
https://www.town.okuma.fukushima.jp/soshiki/shogaigakushu/32947.html
話題提供:復興庁
復興の基本方針~記憶と教訓の継承、風化と風評、帰還・移住・交流/関係人口・観光/ホープツーリズム~

新居泰人さん(復興庁 統括官)は、2015年から経済産業省・内閣府などの国の職員として、福島の復興政策に携わり、大熊町の大川原地区をはじめ相双地域の復興に取り組みました。
「『第2期復興・創生期間』以降における東日本大震災からの復興の基本方針」や、復興庁の取り組みを紹介いただきました。「記憶と教訓の継承」「風化と風評」「帰還・移住・交流/関係人口・観光/ホープツーリズム」の取り組みを中心に、国の方針を紹介されました。
現在、東京電力福島第一原子力発電所の視察に訪れている来訪者は年間約2万名、中間貯蔵施設の視察(JESCO)は年間6700名。震災後の記憶と教訓の後世への継承について、「国、地方公共団体、民間がそれぞれの役割をはたしながら進める」必要があるとした上で、「交流・関係人口の拡大にむけ、東京電力福島第一原子力発電所や中間貯蔵施設の活用を進める」ことの重要性も指摘しました。
<パネルディスカッション>
遺構と地域の未来を語り合う―未来に残したい、わたしたちの学び舎
続いて、10名のパネリスト及びコメンテーター、ファシリテーターとともにパネルディスカッションを行いました。
◆話題①「熊町小学校などの遺構の価値」

まず、藤室玲治さん(福島大学地域未来デザインセンター特任准教授)より、「本シンポジウムは、旧熊町小学校の保存活用の価値、方法や課題について多様な主体が意見交換を行い、それぞれが相互理解を深め、信頼関係を築くことを目的として実施する」ことが確認されました。
そして、話題①「熊町小学校などの遺構の価値」について、パネリスト及びコメンテーターの皆さんに発言してもらいました。
木村紀夫さん(大熊未来塾 代表理事)
中間貯蔵施設内の遺構を巡りながら語り部を行う視察対応の活動を紹介。遺構保存・活用の対象となっている旧熊町小学校や旧熊町児童館、旧熊町幼稚園、栽培漁業センターをはじめ、検討の対象に入っていない熊川区公民館や諏訪神社も案内しています。自身や町民の経験や想いを紹介しながら、防災のこと、原子力災害のことについて、考えるきっかけや問いを来訪者と共有する時間となっています。
大熊未来塾の視察参加者は、2024年度は約900名で、旧熊町小学校をはじめとする遺構を訪れています。彼らの感想から、旧熊町小学校の遺構の価値を感じることができると語ります。最近では、視察に参加したオーストラリアの旅行代理店の担当者から、「広島と同じくらいの価値がある」「高校生を連れてきたい」という感想があったことを紹介。海外からも認められる価値があると発言されました。
広島のある証言者の方が、原爆投下による被害を語る前に、「私たちは加害者だった」という話から始まることに衝撃を受けたとのこと。旧熊町小学校に限らず、遺構がのこっている中間貯蔵施設内一帯を巡りながら住民目線の語り部を行う意義として、「なぜ原発事故が起きてしまったのか、社会や一人一人の暮らしをまず問い直す」「それこそが、この地域で得られる大きな学びである」と述べました。
渡部正勝さん(おおくまふるさと塾 代表)
おおくまふるさと塾は、震災前の1996年、住民によって発足されました。震災後は、遠方に避難をつづける町民が多くいることから、構成メンバーの数は減少。
震災前の活動は、学校の要望に応えて野外活動の案内をするなど、生涯学習協力団体のような形として活動していました。原発事故後は放射能汚染により、活動内容が少し変化するも、現在も、避難指示解除区域の自然保全や、古跡巡りなどに取り組んでいます。また、本企画の第1回ワークショップの講師でもお越しいただいた鎌田清衛さん(おおくまふるさと塾 顧問)を中心に、未指定文化財の仮の標柱を設置する事業を、町の補助を受けて実施する準備を進めています。
旧熊町小学校の価値については、震災時の困難な様子が伺えるとともに、震災前の地域の営みが感じられる場所であると述べました。また、草木が生い茂ってしまっている現在の旧熊町小学校の姿ではなく、「かつての緑豊かな環境に戻し、樹木を手入れしていくことで、さらに校舎を残すことの価値が高まってくるのではないか」と指摘。
校庭には、記念樹や地域の方が植樹した樹木など、様々な思いがこもった樹木が多く植えられています。14年が経過しているため、すでに枯れてしまったものもあり、地域の歴史がつまった旧熊町小学校を校庭も含め残していく重要性を強調しました。
遠藤 瞭さん(熊町小学校卒業生)
旧熊町小学校の学区にあたる町民は、今も自宅が帰還困難区域に含まれている方がほとんどであるという点から、すでに自宅を解体した町民や、これから自宅を解体する予定の町民にとって、旧熊町小学校は重要な場所になると指摘。原発事故被災地では、解体が進み必然的に更地が広がっていくため、旧熊町小学校などの公共施設においては、「(故郷を失った)住民にとって、熊町小学校は共通の思い出の場所である」「自宅は残せないから熊町小学校は残してほしい」という思いがあるのではないかと発言。
また、震災前は、緑化活動などを通して、子どもだけではなく地域の人たちの交流の場でもあったことから、「将来、同様の交流の場として保存活用することができるのではないか」と希望を語りました。
さらに、遠藤瞭さんからは、「これらの想いは町民固有の価値であり、自分のわがままかもしれないと思っていたが、これまでの第1回から第3回のワークショップを実施する中で、町外の参加者からも同様の価値を認めていただいた」と振り返りました。
星心さん(福島大学行政政策学類3年)
新潟県出身の星心さんは、福島大学1年生のときに「むらの大学」「ふくしま未来学入門Ⅰ・Ⅱ」を受講し、震災の記憶の継承に関心を持ったことから、2023年から協働プロジェクト学修「大熊町で聴き、語り継ぐ、東日本大震災と原発事故の記憶(以下、語り継ぎプロジェクト)」に参加。その中で、木村紀夫さんの語り継ぎにも取り組んでいます。
旧熊町小学校の価値として、「当事者ではない人も、当事者意識を持つことができる場所」と表現されました。避難者の数などを数字で見ても実感がわきにくく、また、震災時は幼かったため地震以外の記憶がないとのこと。しかし、大学の取り組みで震災当時の様子がほぼそのまま残っている旧熊町小学校に訪れた際、「この地域に人々がたくさん暮らしていたことをはじめて実感した」と振り返りました。
自身よりも若い世代は、「震災や原発事故が歴史上の出来事になりつつある」とした上で、誰しもが小学校に通った経験があることから、震災当時の状況がほぼそのまま残っている旧熊町小学校を見ることで、「震災を経験していない人も、原発事故を自分事として捉えることができる貴重な場所である」と評価しました。

南郷市兵さん(義務教育学校・認定こども園 福島県大熊町立学び舎ゆめの森 校長・園長)
学び舎ゆめの森の児童は、0歳児から15歳までの子どもたち98名が通っています(2025.10.19時点)。一方で、住民票上の子どもの人数は1124名のため、ほとんどが町外の学校に就学していることがわかります。原子力災害の経験を踏まえ、「自らが理想とする“人生”や“地域コミュニティ”、“社会”を、子どもたち自らがつくっていけるような力を育みたい」という学び舎ゆめの森の教育方針も紹介しました。
南郷市兵さんは、学び舎ゆめの森に着任した教員の研修として、旧熊町小学校や大野駅周辺など、大熊町内を巡る研修を、毎年4月に実施されています。研修の中では、旧熊町小学校も視察しており、「この原子力災害を子どもたちにどのように伝えるか」ということを教員自身が考える機会となっていると評価しました。
また、大熊町出身のふたば未来学園高校生(当時)による留学生向けツアー企画が行われた事例も紹介されました。熊町小学校は原子力災害を伝え考えることができる場所であり、「未来世代にとっての価値」とともに、「全国や世界の人が原子力災害を自分事として考えることができる価値」があると力強く語りました。
学び舎ゆめの森の子どもたちの約8割が教育移住で入学されていることから、多くが大熊町をそもそも知らないご家庭で、その上震災当時生まれていない子どもたちも増えています。自分の理想の未来を切り開く力を養うという教育を果たすためには、過去から学ぶ必要もあるとして、防災教育の充実についても意欲を示しました。
苧坪祐樹さん(大熊町生涯学習課 社会教育係 副主任学芸員)
大熊町の震災を契機とした資料は、従来の文化財の定義にはあてはまりづらい新しいものであるため、町の歴史を示す貴重なものは、町独自の定義で検討していくという方向性を示しました。
窪田亜矢さん(東北大学大学院工学研究科 教授)
窪田亜矢さんから、第1回から第3回のワークショップで共有された旧熊町小学校の価値のポイントについての整理がありました。
◇第1回ワークショップ:熊町小学校「みどりっこ」復活にむけて
鎌田清衛さん(おおくまふるさと塾)が作成された「樹木マップ」から、校庭1本1本の樹木にさまざまな歴史があること、また、旧熊町小学校は寺子屋に始まりがあり、地域の歴史が詰まっていることが共有されました。「本当の意味での公共性というものが、市民一人一人によってつくられてきたことがわかる」と評価しました。
◇第2回ワークショップ:のこされた学校から「記憶」をたどる
佐藤敏郎さん(大川伝承の会)が「保存派と解体派に分けないほうがいい」と強調されていたことを受け、「関心のない人たちを含め、どれだけの人々と、旧熊町小学校の価値について共有できるかが重要になってくる」と指摘しました。
◇第3回ワークショップ:そこにある「価値」 広島から
町民の参加者から「広島の原爆も、福島の原発事故も、『繰り返すな』という共通の想いがある」という強く、切実な発言がありました。それを受けて「原爆は広島と長崎に投下されたあと、世界でも2度目はない。しかし“原発事故はどうか(繰り返されない社会になっているのか)”という点を問わねばならない」とした上で、しっかり向き合い議論していくことの重要性を訴えました。
最後に「今生きている我々が、どのように当事者意識を持てるのかを、旧熊町小学校が問いかけている点に価値があり、その問いに応じるプロセスが旧熊町小学校を“文化財にしていく”ことに通じる」とまとめました。

東日本大震災被災地の保存活用事例紹介
佐藤翔輔さん(東北大学災害科学国際研究所 准教授)
話題②に入る前に、佐藤翔輔さんが、東日本大震災被災各地の震災遺構の保存・活用の事例について解説しました。
◇遺構保存された施設の傾向
東日本大震災被災地において、遺構保存の議論の俎上にあがった施設の内、その多くは、最終的にやむなく解体となってしまいましたが、保存された遺構の約半分が「存置」保存されています。また、“発災後すぐ注目され”、“犠牲者が多く発生した”遺構は解体されやすい/その逆は保存されやすい傾向があるということが、分析によって明らかに。また、鉄筋コンクリート(RC)構造物がある程度残っている公共施設も、比較的保存されやすいことがわかりました。
◇震災遺構として保存された事例:石巻市大川小学校と震災遺構石巻市門脇小学校
佐藤翔輔さんが遺構保存の検討に携わった経験をご紹介いただき、議論のプロセスの中で行った県外視察について紹介いただきました。新潟県や、阪神淡路大震災被災地、広島県などを訪れ、「遺構がある風景」と「遺構がない風景」を見た上で議論を推進されました。視察に参加したことで、当時解体を希望していた住民の一部では、「残っていたことに大きな価値がある」と感じ、気持ちの変化が生まれ、一定の納得感につながったと紹介。
◇保存されなかった事例:佐々直本店工場(民間施設)
施設の持ち主と名取市は保存したかったが、市議会では保存が認められず、どうしても解体せざるを得ない状況に。その際に実施したことは、建物をデータで保存するとともに、証言を集めることで震災時の津波の状況なども再現され、“ここに建物があったこと”“ここで起きたこと”を残したとのこと。十分なデータを残すことで、施設の持ち主は「後世に伝えられる」と納得されたと紹介しました。
◇活用の事例:気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館
旧気仙沼向洋高校が遺構として保存された気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館。毎年、地域の方や学生が、「どんな遺構にしたいか、どんな場にしたいか」を話し合い、各プロジェクトが立ち上がって、地域共同で運営・運用していくネットワークが形成されています。どこかの企業に民間委託して終わりではなく、地域に開かれた活用の在り方について紹介がありました。
最後には、インドネシア・バビ島の津波で破壊された建築物の一部が残されている事例をご紹介いただきました。一見、震災遺構に見えない物であっても、ほかの用途で造成されずに残っており、今生きている人たちに対して災害の記憶を伝えている場所になっています。旧熊町小学校がどのようなメッセージを伝える役割を担うのか、まずしっかり見極めていくことが、今後どのように保存・活用されていくのかにつながると感じました。
◆話題②「熊町小学校などの遺構の保存・活用の方法」
[中間貯蔵施設内の遺構の保存・活用の検討の展望]
苧坪祐樹さん(大熊町生涯学習課 社会教育係 副主任学芸員)
佐藤翔輔さんの事例紹介を受けて、「遺構保存・活用の検討に関わる方たちが同じ地域を視察したり、同じ知識を取り入れたりすることで合意形成につなげられている」と評価した上で、「中間貯蔵施設内の遺構保存・活用の検討については、合意形成がとても難しいと感じているので、参考にしたい」と述べられました。3Dデータなどの記録収集は並行して実施されていますが、具体的な保存・活用の検討は今後進める見込み。
また、話題①で各パネリストが発言された内容を受け、「旧熊町小学校の持つ教訓やメッセージ性を活かせるような保存・活用の方法を考えていきたい」と、今後の姿勢を示しました。

写真:熊町小学校の教室の様子。私物持ち出しの際に撮影したもの。(木村紀夫さん提供)
[原子力災害をより自分事として捉えるために]
南郷市兵さん(義務教育学校・認定こども園 福島県大熊町立学び舎ゆめの森 校長・園長)
学び舎ゆめの森を見学に全国から来訪者が来ていますが、ゆめの森が大熊町の復興の象徴となっている一方で、「進展している町の様子と、今も続いている課題を両方見てほしい」という気持ちを明かしました。避難指示解除とともに景観が変化していることから、「今なお続いている課題を、来訪者が自分事として考えることができる風景が減少した」という課題意識を共有されました。また、中間貯蔵施設の今後の課題についても言及し、「全国の方が除去土壌について自分事として捉えるためには、中間貯蔵施設に含まれた地域に“人々の営みがあったこと”“地元住民にとって大切な場所であること”を感じる仕組みが必要」と指摘しました。
司会進行の藤室玲治さんからは、復興庁の『新しい東北』という企画で、木村紀夫さんの案内で中間貯蔵施設内の旧熊町小学校や福島県水産種苗研究所跡を訪問した後に、学び舎ゆめの森を訪問する視察を実施済みであると紹介されました。「被災地のこれまでとこれからについて理解が深まり、とても好評だった。双方にとって相乗効果のある視察となった」とした上で、具体的な活用方法として有効であると述べました。
星心さん(福島大学行政政策学類3年)
学芸員資格取得のため学業に励んでいる星心さんは、自身の実習先の博物館での経験を紹介した上で、「実物保存は絶対必要」「旧熊町小学校をVR(バーチャル・リアリティ)などで別の場所で再現しても、現場で受け取ることのできる情報よりも少ない」と発言。しかし、旧熊町小学校は時間とともに変化していくため、「実物を残した上で、データで再現することは有効」と指摘しました。
自身が大熊町で語り継ぎプロジェクトに参加していることから、「多くの犠牲者が出たほかの震災遺構と比べ、旧熊町小学校は(下校中に犠牲になった児童もいるが)、比較的、学生が語りやすい場所」と指摘し、次世代が原子力災害の継承を担う場所としての在り方を示唆しました。
旧熊町小学校は、掲示物や学用品、教室の様子が比較的震災当時のまま残っているため、「小学校の日常の様子を目にすることで、より原発事故の恐ろしさを実感できる」とした上で、「活用の際には、校舎内に入って、廊下から教室を見学する方法が良いのでは」と提案しました。
また、中間貯蔵施設に含まれたエリアを巡る大熊未来塾のフィールドワークを受け、「エコミュージアム」としての活用の可能性を示されました。旧熊町小学校だけではなく、中間貯蔵施設に含まれた地域一帯で、残された遺構を保存・活用する仕組みを提案しました。

写真:震災前の熊町小学校の校庭(渡部正勝さん提供)
[震災前の日常をありのまま残す]
渡部正勝さん(おおくまふるさと塾 代表)
熊町小学校の校庭には、当時の先生やPTAや教員の方たちの想いがこもった植木が多くあるとして、「2011年3月10日の緑豊かな校庭を残したい」と述べました。このように、地域住民と育まれた校庭であることから、「緑豊かな環境とその歴史を、全体的な保存の中で継承されていくべき」と指摘。
歴史や想いが詰まった樹木が多数枯れかけていることを危惧し、住民主体で樹木の手入れをしていく意欲を表しました。
木村紀夫さん(大熊未来塾 代表理事)
以前、ある来訪者から「第一原発を視察するより、この教室を見たほうが、原子力災害が自分事になる」という感想があったことを紹介。東京電力福島第一原子力発電所の視察に参加したあと、大熊未来塾のフィールドワークに参加した来訪者であり、各所との連携の可能性を示唆しました。
活用方法については、教室が比較的震災当時からそのまま残っている価値を改めて強調した上で、「たくさんの子どもたちの日常の痕跡が残っている状態は大事にしたほうが、価値があるのではないか」と指摘。校舎内に立ち入りできる仕組みは、一定の変化が伴うとして、慎重な姿勢を示しました。
また、「緑豊かな校庭を取り戻す」渡部正勝さんの話を受け、「ぜひ残すべき」とする一方、除染されていないという問題など様々問題が生じている中、「もし費用がかかるのであれば、校舎は存置保存でいい」反面、「いずれ校舎も子どもたちの物も朽ちていくと考えると、自分の中だけでも答えが出ない」と明かしました。まずは、震災当時の様子を残すことを最優先とし、必要最低限、現状を維持するための修理や処置の必要性を訴えました。

写真:旧熊町小学校の教室に残る児童の掲示物(木村紀夫さん提供)
[見学する方法を考える]※4名のやり取り
遠藤 瞭さん(熊町小学校卒業生)
旧熊町小学校は中間貯蔵施設に含まれているため、町民など限られた人の立ち入りに同行するという方法が主なのが現状です。第1回から第3回のワークショップにおいて、「全国の方が感じる価値も大いにあることが確認された」ことを振り返り、「より多くの人たちが訪れるために、熊町小学校までの道を除染・解除するなどの環境づくりも必要ではないか」と問題提起しました。「そのために校舎内に入れるようにすることも一つの方法である」と述べられました。一方で、過去に旧熊町小学校の校舎内に何者かが無断で入り、学用品を盗む事件が起きたことから、防犯などの管理が求められることを指摘。そのようなリスクも踏まえ、校舎内に入る構造にするためには様々検討・対処が必要であることも述べました。
木村紀夫さん(大熊未来塾 代表理事)
遠藤瞭さんの問いかけに対し、窃盗のリスクを危惧し、「一日の人数を制限したり、地元住民が同行するなど、一定の立ち入り制限は継続すべき」と述べました。また、町民にとって大切な場所だからこそ、「あからさまな観光地にしてほしくない。」「“原子力災害を学びたい”と思っている人たちに来てほしい」という発言もありました。
遠藤 瞭さん(熊町小学校卒業生)
地元住民の同行ありきで見学している現状では、「大熊町に学びに来ている人たちがたくさんいる中で、立ち入り制限があることで偶然の出会いの機会が損なわれてしまう」と述べました。
星心さん(福島大学行政政策学類3年)
「確かに今の状態から変化してしまうのは良くない」とした上で、「大熊町で語り継ぎプロジェクトに参加した際、地域のことをもっと知っておくべきだと感じた。私が校舎内に入れるようにしたほうがいいと思う理由は、小学校の中の様子を知ることで、震災前の日常や地域のことを伺い知れるのではないかと考えたためである」と述べました。状態を保存する必要がある空間については、VR(バーチャル・リアリティ)などを活用して、別の場所で詳細に見学できるような仕組みが考えられると提案しました。
南郷市兵さん(義務教育学校・認定こども園 福島県大熊町立学び舎ゆめの森 校長・園長)
「阪神・淡路大震災後の記録においても、災害の記憶継承をめぐる葛藤と対峙しつつ、覚悟をもって取り組まないといけないと記されていた。どちらか一方が“正義”なのではない」と呼びかけました。

写真:パネル展示「熊小がある。これまでも、これからも」の様子。「なじょすっぺ」コーナーには、熊町小学校の遺構保存・活用について、大熊町内外の方の率直な願いや意見が寄せられた。
当然、2045年を待たずに、中間貯蔵施設の区域変更は困難なハードルですが、大熊町民が主体となって地域の未来を見据えるために、様々な制約を越え、分野を越えた関係者同士の議論を何度も重ねる必要があると感じました。
コメンテーターによる論点整理
佐藤翔輔さん(東北大学災害科学国際研究所 准教授)
前述の住民の葛藤を考慮した末、中に入れない構造にされた震災遺構の事例を紹介。震災遺構として整備されている今、過去に中に入って見学した自身の経験から、「間近で見た印象と、遠目で見る印象は、全く異なる」と述べられ、「中に入れるが、傷つけない方法が望ましい」と提案しました。
また、旧熊町小学校の価値の論点において、「原子力災害を伝えるために、“震災前の思い出や地域の記憶”は非常に重要だが、それだけではない軸が必要」と指摘。「3.11あの日の出来事」と「3.11後のひとりひとりの東日本大震災」を整理し、多様な物語として記録することで、学びの場として有効な場所になると指摘しました。
窪田亜矢さん(東北大学大学院工学研究科 教授)
大熊未来塾のフィードワークに参加した経験を振り返り、「自分自身に向き合わざるを得ない体験」であり、また、同行した少人数の参加者と本音で意見交換をする機会を「人間らしい経験」であったと表現しました。そうした体験をもたらすことが、旧熊町小学校を実物として残す価値であると述べました。
また、中間貯蔵施設内に位置しているという点では先例がなくても、他の過去の事例から学ぶことはできるとし、“反実仮想”の考え方を提案。広島を例にして、「原爆ドームがあることで、核廃絶の行動様式が確立し、核被害が記憶されている。もし、“原発事故の被害を記憶できなかったらどうなるのか”と想像できるはず」と未来に想いを巡らす重要性を指摘しました。「一方で、広島の平和記念公園にはかつて町があったが、公園が整備されることで人々が追い出されたという事実もある。このことも含めて、私たちは先例から学べるのではないか」と指摘されました。原発事故をどのように記憶していくのか、今後議論を深める必要性を訴えました。
新居 泰人さん(復興庁 統括官)
「中間貯蔵施設を2045年3月までに県外最終処分する目標について、国として責任をもって進めていく」とした上で、「旧熊町小学校は、より多くの国民に中間貯蔵施設について理解いただくために、一定の役割を果たす存在」と述べました。旧熊町小学校を見学することで、中間貯蔵施設や復興推進のために、地域の日常が奪われた現実を感じることができるとし、見学者が、中間貯蔵施設の問題をより自分事として捉え、理解を深める一助となり得ることを示唆しました。
また、東北各地の震災遺構では、維持管理の費用面について大きな問題であり、入館料やふるさと納税、寄付などを活用する事例もあるとのこと。維持管理のコスト面の議論も今後必要になってくると指摘しました。
◆話題③「熊町小学校などの遺構の保存・活用の課題」
[劣化が進むほど難しくなる保存]
渡部正勝さん(おおくまふるさと塾 代表)
2045年まで中間貯蔵施設がつづくことから、「あと10年程度すれば校舎の建築基準が下回ってしまう」と警鐘を鳴らし、「なるべく早く避難指示区域から外し、必要最低限の修理に対応しないと、ますます費用面の負担が大きくなるのではないか」と指摘しました。防犯対策などの管理や、見学者立ち入りの一定の制限を設けるなどの対策を取りつつ、交流人口の拡大や防災教育の場として機能させることを提案されました。また、「原子力災害は、原発を推進してきた国策によって起きた」とした上で、「(旧熊町小学校を)国が管理して整備することもひとつの方法なのではないか」と指摘しました。しかし、その場合、「地域住民の関わりが難しくなるかもしれない」というジレンマを語りました。

[国・地方公共団体・民間のそれぞれ役割]
南郷市兵さん(義務教育学校・認定こども園 福島県大熊町立学び舎ゆめの森 校長・園長)
渡部正勝さんの指摘に共感を示し、新居泰人さんの話題提供で紹介されていた「記憶と教訓の後世への継承を国、地方公共団体、民間がそれぞれの役割を果たしながら進める」という復興庁の方向性を確認。その上で、「地域住民にしかできないこともある」と述べました。例として、ゆめの森に着任した教員の研修で旧熊町小学校を訪れた際の出来事をご紹介しました。「震災時の在校生だった新任教員から、当時の話が語られたことがあった。非常に考えさせられた」と当時の心境を明かし、物を見るだけではなく、「当事者が近い距離で語ることで、町民の悲しみや想いを知ることができる」とし、「多様な物語を想起する仕組みをつくらないといけない」と指摘しました。
木村紀夫さん(大熊未来塾 代表理事)
「最近の視察対応では、自分の経験だけではなく、ほかの町民の経験や想いを紹介する機会が増えている」とした上で、多様な物語をさらに掘り起こしていくことで、「旧熊町小学校などの遺構の価値がさらに高まる」と述べました。今後、町民や卒業生の物語を民間で記録していきたいと意欲を示しました。
[遺構の活用をする人材、伝承活動の担い手]
佐藤翔輔さん(東北大学災害科学国際研究所 准教授)
「地域住民の関わりが遺構の持続性を高め、かつ遺構を維持していくものになる」とした上で、もし旧熊町小学校が遺構として保存される場合、「大熊町民の方で、仕事ではない関わりで活用される人材はどれくらいいるか」と、他登壇者へ質問しました。
木村紀夫さん(大熊未来塾 代表理事)
ガイドや伝承活動は一般的に仕事になりづらいため継続が難しくなっている側面もあるとした上で、「伝承活動を仕事にする仕組みづくり」の必要性を訴えました。また、双葉郡内でも、地元の建設会社や、震災後に設立されたインバウンドに取り組む旅行会社などがあることから、「地元の中小企業と協働で活用に取り組むことができるのではないか」と述べました。
遠藤 瞭さん(熊町小学校卒業生)
「伝承活動に取り組む町民は少ない」とした一方、「個人的に知人を連れて案内する町民は一定数いるが、自分の話が『ガイドとしての価値がある』という自覚を持っている人は少ない」と回答しました。その上で、「多様な物語を想起する仕組み」について、取り組んでいくことの重要性を指摘しました。
渡部正勝さん(おおくまふるさと塾 代表)
自身も「依頼があればガイドをしている」と明かす一方、年齢による継続の課題があるとし、「若い世代の育成を含めた仕組みづくりが求められる」と述べました。
木村紀夫さん(大熊未来塾 代表理事)
広島では伝承者育成に2年程度の研修が必要である一方、福島は、1年間で3回程度の研修だけで伝承者として認定をされている点について、「それでいいのだろうか?」という問いかけがありました。
藤室 玲治さん(福島大学地域未来デザインセンター特任准教授)
木村紀夫さんの問いかけに対し、「語り継ぎプロジェクトに取り組む教員として、伝承の担い手の確保は大きい課題であると感じている」と述べました。福島における伝承の担い手が少ない要因として、語ることができる住民が避難していることや、高齢化が進んでいることを挙げました。また、「原発事故について“どのような切り口で語るのか”という語りにくさも要因のひとつではないか」と指摘しました。
その上で、「語ってくださる方と一人でも多く繋がりつつ、震災後に移住者や学生などの若い世代へ継承する取り組みなどを通じて、遺構を活用することが、旧熊町小学校の保存・活用につながっていくのではないか」と締めくくりました。
最後に、登壇者からコメント
佐藤翔輔さん(東北大学災害科学国際研究所 准教授)
「東北にある震災遺構は、世間から見るとどれも同じに見えている。大熊町の遺構では、日本で唯一の場所になってほしいし、できることがあればお手伝いさせていただきたい。」
窪田亜矢さん(東北大学大学院工学研究科 教授)
「原発事故を、今ここで起きている実態として細かいところまで捉えること、同時に、長い歴史や広い視野に位置付けて考えることが重要だと思う。また、自分の被害者性と加害者性、特に研究が持つ加害性をしっかり意識していきたい」
新居 泰人さん(復興庁 統括官)
「地元の方の想いをまず尊重し、訪れた方が原子力災害を“自分事として捉える”ことが大切であると感じた」
南郷市兵さん(義務教育学校・認定こども園 福島県大熊町立学び舎ゆめの森 校長・園長)
「震災の出来事など多様な物語を語り継いでいく人の輪が、ゆめの森の子どもたちや、移住された方などを含め広がっていってほしい。過去にあったことを旧熊町小学校などで想起し、自分と重ね合わせて考えることが、今後の新しいまちづくりや、未来の社会形成につながっていく。私たちゆめの森も、学校として取り組んでいきたい」
苧坪祐樹さん(大熊町生涯学習課 社会教育係 副主任学芸員)
「大変勉強させていただいた。皆さんの議論の深さに行政側がまだ追いついていない部分があると思う。次は、町として皆さんにお声がけする機会を持ちたいと思っている」
木村紀夫さん(大熊未来塾 代表理事)
「訪れる方が皆、共感してくれるから伝承活動を続けられている。世界中の人が共感いただける場所になりつつあり、未来に対する大きな価値だと思う。ぜひ旧熊町小学校を遺構として残してほしい」
渡部正勝さん(おおくまふるさと塾 代表)
「費用面について解決していく道筋も考えていかないといけないと感じる」
星心さん(福島大学行政政策学類3年)
「合意形成はとても難しいことだと実感した。しかし、震災の記憶が曖昧な世代や、経験していない世代からすると、“当時を知らなかったから原子力災害を繰り返す”という事態は避けたい。そのため、原子力災害を知ることができる場所は残してほしいという気持ちがある。当事者ではないが、今後も語り継ぎプロジェクトに取り組んでいきたい」
遠藤 瞭さん(熊町小学校卒業生)
「佐藤翔輔さんの話題提供で、遺構保存ができなかった建物においても、議論があったことを知ることができ、勉強になった。大熊町の学芸員の方にも登壇いただき、町内に残る重要なものに対して、従来の文化財の枠組みではない新しい価値づけをするという、大変な取り組みであると改めて感じた。私は冒頭で、旧熊町小学校の保存・活用について、“町民として、町と一緒に考えていきたい”と発言したが、その言葉に見合う覚悟を持って、今後も取り組んでいきたい。」
藤室 玲治さん(福島大学地域未来デザインセンター特任准教授)
「旧熊町小学校がなくなることで、遠藤さんのような当時在校生だった世代が、再び故郷を失うような経験をさせる復興であってはいけないと思っている。本日、皆さんのお話しから、実物を保存するためには色々な方法があると確認できた。同時に、民間の取り組みでいかに語る人の輪を広げ、多様な物語を残していけるかも重要であることが共有された。」
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多様な関係者が集まり、旧熊町小学校の今後をテーマに議論を行いました。登壇者一人一人の多大なご尽力があってこそ、本シンポジウムが成立しました。深く感謝申し上げます。
旧熊町小学校の価値を評価している関係者の中でも、思い描く保存・活用の手段はそれぞれであることがわかりました。中間貯蔵施設内に含まれているという前例のない本検討は、非常に困難な課題が多々ありますが、多様な関係者が相互理解を深めながら、何度も議論を深める重要性を実感しました。旧熊町小学校の価値を損なわずに、保存・活用の在り方を見出すことは、議論を重ねることで、「不可能なものではない」と感じることができる機会でした。
また、保存・活用をより充実させるために、民間にもとめられていることは、震災当時の在校生や学校関係者などへの聞き取りや、語り手の輪を広げていくことであると示されました。町民や次世代など、幅広い層にとって有益な、町独自の「文化財」に育てていくために、我々民間も、他の町民とつながって、今後も町や関係機関と連携しながら本件の検討事業に尽力していきたいと考えています。