archive 記録・レポート

2025年5月11日開催

4月25日~4月27日に実施した広島視察の報告と、大熊町の遺構保存について、住民や町外からの一般市民とともに意見交換をするワークショップを行いました。
24名の参加があり、半数は大熊町民や浜通りにお住まいの方がお集まりいただきました。
中には、震災当時、熊町小学校の在校生だった方たちも参加され、とても充実した話し合いが行われました。
原発事故後の中間貯蔵施設内では、熊町小学校をはじめとする公的施設などがのこされており、6施設の遺構活用の検討が始まっています。
参考:福島民報「福島県大熊町の中間貯蔵敷地内 建物、遺構化を検討 町調査へ 原発事故の教訓伝える」

町で検討されているのは6施設ですが、まだ方向性も含めこれからの段階なので、対象施設全てが保存されるとは限りません。
今後この件について地域内外の機運を高めるため、今回は、熊町小学校の当時の在校生からの視点や、被災者の視点から熊町小学校がなぜ大切な場所なのかをお話したあと、熊町小学校にしぼって皆さんと意見交換を行いました。
また、最後には、宮城県の「大川伝承の会」の佐藤敏郎さんからも、大川小学校の遺構保存の議論について紹介されました。
当時の在校生をはじめ、参加者の皆さんに向けて激励のお言葉を頂戴しました。

グループワークの全体共有の内容を、以下に紹介させていただきます。
データでもご覧いただけます。

▼グループ①
のこす意義(どんな価値がある?)
発表者自身が震災当時の熊町小学校在校生。グループ内に小学校OBOGが多く、思い出話がたくさん共有された。
・原子力災害の「影の面」と「陽の面」の両面がある価値
原発事故がなければ、来週子供たちが通っていたこと、原子力災害の被害がわかる。
一方で、在校生だったので、楽しかった思い出が湧き上がってくる。思い出の場所として明るい面を伝えていきたい。
・時間が止まっている状態を見ることができる価値
2011年の時代で時が止まっているので、原子力災害だけではなく、2011年にタイムスリップできるという価値。例えばブラウン管テレビがまだあったりする。時代が止まっている場所はなかなかない。
どうやってのこす?具体的にどう活用する?
・そのままのこす
実物大のジオラマともいえる。止まっていることに価値があるので、なるべく手をかけずに保存するべき。
・VRの活用
施設外から眺めることができるが、手をかけないために、学校内についてはバーチャル空間で見ることができるようにする。
最近までグーグルマップのストリートビューで公開されていたがすごくリアルに感じられるツールだった。
関心をもつ人の裾野を広げるには?
・学校関係者の交流の場をつくる
学校に通っていた人、その保護者が再会するきっかけをつくる。例えば草刈りなど。絆をもどすことにつながる。
・不特定多数の人たちに届ける
バーチャルの力を活用する。ストリートビューでどこでも誰でも見えるようにする。
・アニメの聖地にする
「すずめの戸締り」に故郷が登場したのは、ちょっと嬉しかった。なにも知らない人たちが身近に感じたり、特別な感情を抱いて価値を感じてくれる機会になる。いい作品を作ってもらって、作品の聖地として認知されていくことで、万が一解体する事態になった場合、若い世代から反対する声や、「わたしたちの熊町小学校だから解体しないで」という声が出てくるのではないか。

▼グループ②
のこす意義(どんな価値がある?)
・世界的な意義
原発事故そのものがチェルノブイリを除き稀な事象であり、同時に廃炉の問題やエネルギー問題、放射能の問題を学ぶ場所として重要。原子力災害の複合的な影響として、地域の暮らしが喪失するなど様々な影響が及んでいることを、メッセージとして伝えていける意義がある。
・地域にとっての意義
自分が育った地域や土地、建物が地域の人の視点から意義をもつということ、また今後生まれる世代にとっても当時のことを知る機会になる。入れない場所があるがゆえに残っている特殊性、価値がある一方で、当時の暮らしに触れられる機会がなかなかないので、どうやってつくっていけるかという話があった。
どうやってのこす?具体的にどう活用する?
・時が止まっているわけではない
「時が止まったままである」ことを価値とするならば、当時のままでのこすために腐食を防ぐような保存方法を工夫して、当時の瞬間をのこす考え方になる。そうなるとものすごく手をかけて、博物館のような施設で保存するという考え方になりがち。
・劣化して崩れていく保存
10年以上たって劣化して腐食し崩れていくという、この時間の進み方がショックというか、人々に衝撃を与えられる価値がある。その過程が我々になにを考えさせるのかという視点に立ったとき、そのまま手をつけずに保存することが望ましい。この時間立ち入れなかった、かつ触れられなかった状況で、一方で自然の中でその人間が造ったものがもろく崩れていくことが、人間の文明や人間中心に立たない考え方につながる。そのままのこすというのは時間の進み方を受け入れるということにつながるのでは。
・熊町小学校だけで考えるのではなく6つのこす可能性を考えたとき
熊町小学校を全体の中のひとつの場所として捉える。6施設それぞれで、来訪者がどのような経験をするのか、そのためにどうのこすのかを含め、デザインする視点が必要。のこす方法と同時に、点と点をどうつなぐのかという体験をデザインする視点が大事。
・そのままのこすことの懸念事項
そのままのこすことは、その場所に生きた状態でのこすということだが、それ自体が地元の人たちが望んでいることなのか。思い出したくないあるいは見たくない人たちと、どう一緒に考えていけるのか。広島の視察に参加した方から、「原爆投下直後にしばらくお祭りなどどんちゃんさわぎが行われていた」という話を証言者から聞いたという。傷ついたものを回復、忘れることは回復のために必要な過程であることも考えられる。

▼グループ③
のこす意義(どんな価値がある?)
・周辺環境含めてのこしたい
学校の建物だけではなく、校庭や学校周辺の木をのこしたい。熊町小学校では、緑の少年団の活動が盛んで厚労省の賞を受賞したり、PTAの活動で山を校庭につくったりという取り組みがされていた。
・なぜ植えられたのか、価値を知らないと切られてしまう恐れ
木を植樹するときは、たいてい何か思いや記念する機会に植えている。しかし、なぜ植えたのかを考えないと切ってしまうことが大熊町内で発生している。被爆樹木が指定されている広島であっても、切られてしまうことがあるほど。「なぜ植えられたのか」「なぜのこされているのか」は、のこす意義と同様に、その樹木や施設の価値を知っている人たちを増やしていかないといけない。
・再び喪失させない
原発被災で全町避難を強いられ、それだけで財産を手放すような大きな経験だったにもかかわらず、何度も何度も喪失させないことは、町の人にとって大事なこと。初めて来た人も、自分の地域に重ねたり、追体験ができる場所なのでは。
どうやってのこす?具体的にどう活用する?
・町民やボランティアの手をかけていく
震災前、思いが集っていた場所を「また集っている場所」にしていくことが大事。樹木を保全するためにボランティアの手、町民の手をたくさん入れていくことが、癒しの過程になるのではないか。手を動かしながら、植えられた理由を色んな人たちと共有しながら行うことで、地域を知らない人も木の見え方が変わるような経験ができる。また、かかわる人としても、手を加えることで貢献できたという実感につながる。
・看板をつくる
樹木の植えられた理由や、施設がのこされている理由、どのような価値があるのかという看板をつくったり、書き留めていくことも大事。
・お金をかけない
保存を考えるとき、いかにお金をかけて効率的に、キレイにのこしていくかということが話し合われがちだが、手を動かしていく中でできるだけお金をかけない形でやっていくことが、本来の町の在り方なのでは。建物の劣化が進んでいくことを考慮したお金のかからない残し方を検討したい。
・防犯に関する懸念事項
2045年に解除される一帯で、どう防犯していくのかという懸念事項もある。
関心をもつ人の裾野を広げるには?
・メディアの発信
・ボランティアとして手を動かしていく
草刈りなどだけではなく、看板を各所に配置し知らないと言わせない状況をつくる。大野駅周辺で元の町の姿を知ってもらうようなパネルもほしいという声もあった。
・現地を知りリピーターになる
陸前高田は、現地に足を運ぶことで、空気感や現地で起きたことを体感することが、リピーターにつながっていくという話もあった。浅い関わりから深い関わりまで、いろんな関わり方があったらいい。

▼グループ④
どうやってのこす?具体的にどう活用する?
・手をかけすぎないでほしい
全国的にVRやAIの活用などの意見が最近多いが、熊町小学校などの施設については、いじらないでほしいという思いがある。でも、学校の中については、入らなくてもVRなど通して体験できるようなこともいいのではと思う。
・モノと同時にガイドの存在の大きさ
広島視察でも感じたが、ガイドの力が非常に大きい。人材育成も重要になってくる。
関心をもつ人の裾野を広げるには?
・移住者と町民がコミュニケーションを取る機会
自分も移住者だが、元の住人の方たちの想いがあまり理解できていない部分がある。木村さんの話をきいて復興の見方がすごく変わった経験があるので、そういう交流は大事。移住者と元の住人がコミュニケーションを取る場をつくることが大事。

▼グループ⑤
のこす意義(どんな価値がある?)
・モノいわぬ語り部
言葉だと強く感じたり、言い表せないようなことを、熊町小学校は伝えてくれているのではないかという話があった。
どうやってのこす?具体的にどう活用する?
・そのままのこす
タイムスリップや朽ちていくという話があったが、いずれにせよ時間的な意味をもっていることは確かで、そのままのこす必要がある。
関心をもつ人の裾野を広げるには?
・話し合いの機会
熊町小学校が、遺族や卒業した人たちだけのものではなく、移住者や今まで関わりがなかった人も、こういう話し合いに参加できるのはすごく大切。そういうときに多角的な視点を得られるのは大事。


▼佐藤敏郎さん(大川伝承の会)からコメント
・大川小学校をのこすか、のこさないかの議論がされたのはちょうど10年前。あのときと比べると全然ちがう。津波犠牲者が多数いたという状況もあったが、みんなヒステリックになり涙を流しながらだった。笑顔なんて全くない。このような話し合いの場はほとんど設けられなかったので、議論不足だった。でも4年で決めるという時間が決められていたので、殺伐とした話し合いの場だった。冷静じゃない当事者しかいなかったのに、関係者以外は参加が認められなかった。
・当初大川小学校は壊される予定だったが、全国の人が見学にきたり、手をあわせたり、掃除をしたりと、大切な場になっていった。また、「こわせこわせー!」「誰も使わない校舎に金かけてどうすんだ」という声の中で、卒業生が大切な校舎をのこしてほしいと訴えたことも大きかった。今日も卒業生から歓声上がっていた。熊町小学校の校庭のアスレチックを見て「熊町城だ!って。卒業生はだいたいのこしたい。
・こういう議論の場はとても大事だが、大熊の場合、時間がたったせいで関心が薄れてしまうという側面もあると感じる。必要不可欠なものとか、優先順位を考えると、ちょっと下がってしまっているかもしれない。その難しさは絶対にある。どうでもいいやという人は、ここに来ていない。そんな中でどう活動していくのか考えるのも大事。
・しかし、熊町小学校の外に立って、教室の中を見たり、木村さんの話をきくだけで、誰だってあそこの価値に気づくはず。時間が経つにつれ関心が薄れていく中で、今のうちに議論するのは大事。とにかく壊したら議論もできなくなるので、色んな意見があるうちは壊さずのこしておくのがいい。
・大川地区は、10年前遺構保存を反対していた人たちは、今「せっかく遺したんだから、ここで起きたことをちゃんと伝えて」と言われる。まだまだ全員ではないが、変わってきている。
・「どうのこすのか」と同時に「何をつたえるのか」またはメッセージとなる言葉をどうつくっていくか、ということも一緒に考えていけば。大熊の人のものではないと思って、今後も関わっていきたい。

▼木村紀夫コメント
今日、震災当時の熊町小学校在校生たちと小学校にいってきたが、とても懐かしい気持ちになった。自分が入学した1972年から、熊町小学校の校舎やアスレチックなどは変わっていないので、年はだいぶ離れているが若い世代と共感することができる。中間貯蔵施設に含まれている地域全体を、そういう場としてのこしていきたい。