
今すぐ変えられないジレンマを抱えながら
2025年3月31日
2024年度もたくさんの個人、団体をお連れし、大熊町の中間貯蔵エリアに案内した。その中で伝えていることといえば、東日本大震災とそれ以前、それ以後の私の経験による防災の話と、原発事故から考える生き方の提案だ。その根底には、「誰も犠牲にしない」社会の構築を目指す大熊未来塾の理念がある。話を聞いてくださる方々からは、一定の共感は得られる。しかし、「誰も犠牲にしない」社会を構築することの難しさから、聞き手側もモヤモヤすることがほとんどだ。そう感じてもらえるだけで十分と思っている。だが、話し手としても、語ることが、「今すぐ社会が変わるものでもない」というもどかしさがある。社会の変化を今すぐ必要としている地域、人がいるにもかかわらず、我々は何も変化を起こせていないと感じ、むなしさが増す。
パレスチナ、ガザ地区では、今この時も無差別な虐殺でたくさんの命が奪われている。ここ数年、そういったニュースに触れる機会が増え、何も出来ないもどかしさだけが溜まり続けていく。
◇イスラエルからの依頼
そんな中、2024年夏に受けた依頼は強く印象に残っている。イスラエルから引率の先生を含む、高校2年生の子供たちが学びに来るというものだった。福島県の語り部ネットワーク会議などでお世話になっている福島大学の先生から回ってきた依頼だった。イスラエルのエシュコルという地域にある高校で、まさに2023年10月7日にハマスの襲撃を受けた地域。同級生もその時に3名亡くなり、祖父が拉致された(一時停戦した今年1月に解放されたらしい)生徒もいた。彼らの福島視察の目的は、避難先での生活、家族もバラバラ、学校も仮設などといった状況が共通する課題として、福島の復興の様子を学ぶことだった。
この依頼を受けてまず驚いたことは、「この高校生は日本に来れるのか」ということ。ガザの人々が、被害を受けている場所から避難することさえ出来ない現状と比べれば、納得出来ない気持ちが私にはあった。これを受け入れていいのか?仮に受け入れたとして、私には福島の復興以上に彼らに伝えねばならないことがあった。
「どんな理由であれ、誰かを殺すことも、誰かに殺されることもあってはならない」
けれどこんな言葉、イスラエルの教育で洗脳されているだろう高校生たちに聞いてもらえるのだろうか?拒絶されて終わるのであれば、受け入れるべきではないかもしれない。
パレスチナ問題に詳しく、度々取材にも行かれているDialogue for Peopleのフォトジャーナリスト、安田菜津紀さんに相談してみた。安田さんには以前、沖縄で遺骨収集活動をされている具志堅隆松さんを紹介いただいた。そして2022年1月2日には、具志堅さんがはじめて大熊町での捜索活動に参加され、わたしの娘・汐凪の右の大腿骨が発見された。約5年ぶりの発見だった。この5月には、安田さんが、具志堅さんと私、そしてパレスチナを取材したここ8年の記録をまとめた『遺骨と祈り』という書籍が刊行される。
私の相談に対して安田さんは、この企画の打ち出し方によっては、今イスラエルが行っている虐殺を見えにくくする「ウォッシュ」になることを危惧していた。要するにイスラエルはこんないいこともしていますよ」とアピールして、自分たちの殺戮行為を見えにくくする。それでも安田さんは、埼玉県で家具職人をされているイスラエル人、ダニー・ネフセタイさんを紹介してくれた。
◇ダニー・ネフセタイさんを訪ねる
ダニーさんは、3年の徴兵後、アジアを旅する中で日本も訪れ、日本人の奥さんと結婚してイスラエルの洗脳が徐々に溶けていったという経験をされている方だ。現在は埼玉県の秩父で生活しながら工房を持って家具職人をされているが、月の半分以上は戦争に反対する講演活動で全国を飛び回っている。『原発を止めよう秩父人』という団体で原発反対運動もしつつ、大熊町も訪れていると聞く。
2024年7月上旬にダニーさん宅を訪れ、イスラエルの高校生に思いが伝わるのだろうかと尋ねた。無理と言われそうな気がしていたけれど、意外にも
「チャンスだよ。一人でも気が付く機会になるのなら」
という言葉が返ってきた。そしてご自身の代々木公園での経験を語ってくれた。その日、代々木公園には屋台がたくさん並んでいて、出展者の中にはシリア人やパキスタン人、イラン人などがいた。おそるおそる話しかけると、笑顔で会話をしてくれた。自国や中東の関係性の中では敵同士だけど、日本においては敵でも何でもないのだ。そういう気づきがあったというダニーさんのエピソードが私の心に残った。
話を聞きながら、ダニーさんと同じように気が付いてくれる高校生も、いるかもしれない、これはひとつのチャンスだ、と感じた。大熊未来塾の活動には、大きなものを変える力はない。まずは一人に気づいてもらい、その一人一人が積み重なっていった先によりよい社会があると信じている。この高校生たちにもその一人になる可能性はあるのではないか・・・。
案内にあたって、大熊未来塾の理事である山根辰洋さんにも相談した。彼は、双葉町で一般社団法人双葉郡地域観光研究協会(F-ATRAs)を立ち上げ、インバウンド対応にも取り組みはじめている。大熊未来塾に海外からの視察対応があるときは、F-ATRAsで働くインド国籍のスタッフに、ガイドの通訳をお願いしている。
今回は主催者側が通訳を準備していたが、細かいニュアンスがちゃんと伝わらないかもしれないと思い、F-ATRAsのSwastika Jajooさんに通訳を依頼した。
◇福島を訪問したイスラエルの高校生たち
電車でいわき駅に到着したイスラエルの高校生。マイクロバスに乗り換えて大熊町へ。そこで私と山根辰洋さん、Swastika Jajooさんの3名がバスに乗り込み中間貯蔵施設のエリアへ。立ち入り後に環境省の職員が合流して、汚染土壌の保管場の説明がはじまる。
その後の案内ルートはいつもの通りめぐった。熊町小学校と、津波で半壊した建物が残る熊川区公民館、栽培漁業センターで、防災の話。木村の自宅跡、汐凪の遺骨発見、捜索現場では原発事故について、その上で電力の恩恵を受けながら生きている自分たちの生き方を見直してみませんかという提案。
案内しながら、いつもは語らないことも伝えた。栽培漁業センターのヒラメの養殖施設のコンクリートの壁に残る「FUKUSHIMA MON AMOUR」という落書き。震災直後に無断で立ち入った何者かが赤いスプレーで書き残した。この言葉は、フランス映画「HIROSIMA MON AMOUR」からの引用だろう。原爆と原発事故。そこで広島で証言活動をしている15歳で被爆した女性の言葉を紹介した。
「自分たちは被害者であると同時に加害者でもあった」
原発敷地内には戦時中特攻隊の訓練飛行場があったという話もした。イスラエルの高校生も特攻隊のことは知っていたようで、「KAMIKAZE!」という言葉が返ってきた。
「彼らは英雄ではなく、米兵を巻き込んで死んでいった国策の犠牲者だよね」
と、そんな言葉を高校生たちに伝えた。
フィールドワーク終了後。大熊町の交流施設で振り返り。そこに環境省の職員と東京電力の社員にも来ていただき、中間貯蔵施設内の元地権者との交流の話や廃炉の話などをしていただいた。双葉町議でもある山根辰洋さんの提案で、最後は住民としての木村も加わってクロストーク。東京電力は私からすると、イスラエルにとってのパレスチナであり、パレスチナにとってのイスラエルのようなもの。それが笑顔で対話している様子を見せた。
それに対して高校生の一人から
「怒りは無いのか?」
という質問。この言葉で、思いは伝わったと感じた。
「怒りでは解決出来ない」
きっと彼らも自国がやっていることに疑問を思っているのかもしれない。
高校生たちの福島滞在最後の夜は金曜日であった。ユダヤ教にとって大切なジャバット・ディナーに招待され、最後にジョン・レノンのイマジンをみんなで合唱。主催者側の何らかの意図があるにせよ、彼らがこの曲を歌うことが、私には衝撃だった。
想像してごらん
殺す理由も殺される理由もないって
難しいことじゃないよ
「怒りは無いのか?」と質問した生徒が、帰りの特急ひたち内で「このような対話の場をイスラエルで実現したい!」と言っていたと聞き、やっとこの依頼を引き受けて良かったんだと安堵した。
◇誰も犠牲にしない社会を目指して
イスラエルとハマスは1月に6週間の停戦に合意した。このままずっと停戦が続けばいいと思ったが、現在はさらに虐殺が激しさを増し、医療スタッフが襲撃され救急車が埋められるなんてニュースも伝わってきている。
昨年夏に大熊にやって来たイスラエルの高校生も日本の高校生と変わらず屈託なく、より自由で自分を持っているように感じた。あの高校生たちも、この秋に高校を卒業して、男性は3年、女性は2年徴兵され、殺戮に加担するかもしれないし、殺されるかもしれない。あの子らとつながったことは、私にはどうすることも出来ない苦痛として残った。どうか徴兵されている間、彼らが誰も殺さず、誰にも殺されずに乗り越えてほしい。
それでもここ最近は、長引く虐殺に疑問を持ち、徴兵を拒否するイスラエル住民も増えていると聞く。変化しつつあるイスラエル住民の声のなかで、あの高校生たちも「殺すことはダメだ!」とちゃんと表現出来るようになることを願う。今すぐ原発や殺戮を止めることが出来ないのは辛いが、それでも、一人の人間に「気が付いてもらう」ことは出来るかもしれないと感じることが出来たのは、私にとって救いだった。ただ、今も虐殺は続いている・・・。
大熊未来塾では、誰も犠牲にしない社会を目指したいと活動を続けている。しかし、その犠牲に多く(ほとんど)の人が無関心だ。その人たち一人一人に、自らの暮らしと社会が地続きであることに気付いてもらう、考えてもらうことが我々に出来ることだと思っている。それを普段のフィールドワークや講話の中で伝えている。この時間が積み重なっていった先に原発に頼らない、誰かを犠牲にしない、殺すことのない営みが生まれていくと信じたい。私はそれを大熊町で実現したい。
※機関誌SoIL311 vol.5(2025年8月18日発行)に掲載した同コラムに一部誤りがありました。読者の皆さま、サポーターの皆さまにご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。(当サイト上は正しい文章を掲載しています)
(誤)p.20下部「イスラエルから引率の先生を含む、高校2年生の子供たちが学び」で途絶え、p.21「この依頼を受けてまず驚いたことは~」という文章が続いている。
→(正)p.20下部「イスラエルから引率の先生を含む、高校2年生の子供たちが学びに来るというものだった。福島県の語り部ネットワーク会議などでお世話になっている福島大学の先生から回ってきた依頼だった。イスラエルのエシュコルという地域にある高校で、まさに2023年10月7日にハマスの襲撃を受けた地域。同級生もその時に3名亡くなり、祖父が拉致された(一時停戦した今年1月に解放されたらしい)生徒もいた。彼らの福島視察の目的は、避難先での生活、家族もバラバラ、学校も仮設などといった状況が共通する課題として、福島の復興の様子を学ぶことだった。」