土と骨と証し〜大熊未来塾と機関誌「SOIL」に寄せて〜
◆土の意味◆
大熊未来塾の機関誌のタイトルを「SOIL(土)」に決めたと木村紀夫さんから聞いた時、僕が感じたことがあります。突然の大津波と放射能禍に襲われたこの土地で、ひたすらに娘の汐凪ちゃんの遺骨を探し続けた紀夫さんにとって、「SOIL」という言葉にどんなメッセージが込められているのか。物言わぬ土は、何千年、何万年という時を経て、多くの命を誕生させては、再びその生命を土へと還らせ、循環させてくれる存在であり、人類にとっては遺跡や遺骨をタイムカプセルのように保存してくれる有難い存在です。億千万もの微生物の棲み処であり、鉱物や養分の苗床でもあります。放射性セシウムに「汚染」されたとしても、自然界にとっては土は土のまま、未来へ脈々と、命の循環を育む小宇宙であり続けるだけ。何という有難いものでしょうか。なんの変哲もない土くれを見るときにその偉大さを想像できることは、生きる喜び、生きがい、幸福に至る道を感じることに通ずるのだと思うのです。紀夫さんが「土」にどんなメッセージをこめているのか。この機関誌の読者にとって、どんなメッセージとして伝わるのか。いち読者として、大切に受け止めたいと思うのです。
◆骨の囁き◆
あの原子力災害から10年後の2021年3月12日、福島県いわき市湯本の老舗旅館「古滝屋」の9階に、原子力災害考証館furusatoがオープンしました。16代目当主の里見喜生さんが原子力災害の声なき声を、「未来への指針」として残すために開設したもので、僕は夫婦で運営に関わっています。オープンから1年間、20畳の元宴会場の部屋の中央には紀夫さんの「中間貯蔵エリア内の遺体捜索現場」を展示してもらっていました。岩波友紀氏の写真集『One last hug ー命を捜すー』の写真と共に、汐凪ちゃんの遺品や写真が捜索現場を模した流木や瓦礫のジオラマの中に展示されています。防護服を着て捜索する紀夫さんとボランティアの人たちの写真、流木に覆われた遺品のランドセルや靴、ドローンで撮影した現場上空からの写真などが一つの巨大な作品となっています。遺骨が見つかったピンクのマフラーには津波の跡が刻まれています。訪問者は触れるような間近さで遺骨の囁きに耳を傾け、当時の様子に想いを馳せることができます。なぜ、ここまで表現されようとするのですか?と紀夫さんに問いかけたことがあります。「汐凪のことを生きているように感じられて嬉しいんです」。この言葉を聞いた時、「紀夫さんの中で、汐凪ちゃんは生き続けている」と強烈に実感しました。以来、僕にとっても、汐凪ちゃんは生き続けている感覚があります。それほど強く、家族への愛、そして命への愛を感じることが、僕が大熊未来塾の活動に関わり続けたいと思う動機です。人の思いはなんと限り無いことでしょう。
◆証しの公園へ◆
震災から12年目になっても、大熊町を取り巻く課題の重さは想像を絶します。2022年から解除が始まる特定再生復興拠点。除染や解除の方針がする「白地地区」。2045年に返還予定の中間貯蔵エリアと高レベル放射性廃棄物最終処分場の行方。東電イチエフの廃炉の終わり。多くが今でも五里霧中です。だからこそ多くの人が、日本中、世界中からこの地を訪れます。この正月、沖縄本島南部で戦争犠牲者の遺骨収集活動を続ける団体「ガマフヤー」(沖縄の言葉で、ガマを掘る人の意味)の具志堅隆松さんが大熊町を訪れ、汐凪ちゃんの遺骨捜索に加わりました。具志堅さんの積年の知見もあり、新たな遺骨が見つかるという奇跡的ともいえる事が起こりました。沖縄でも、アジアでも、戦場となった地に今でも眠り続ける遺骨があること。突然の震災で愛する人が行方不明になること。生きている私たちにできること、すべきことは何でしょうか。紀夫さんは、この地に建設が計画されている大熊町の復興祈念公園について、「自分の家族や、1000年後の命を守るための場所になってほしい」と提言活動を始めています。政治的な活動がはばかられる複雑な大熊町の事情を受け止めつつ、この地域にどんな営みがあったのか、子どもたちが生きた証を少しでもありのままに遺してゆきたいと。先行して双葉町に建設されている国や県の復興祈念公園とは違った、小さき者たちの声を伝える場所として。もしそんな願いが、多くの人が参加することで実現できるのだとしたら、、、僕もその仲間の一人として、この限りある生を生き、いつしか土へと還ってゆきたい。そう思います。

- プロフィール
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1972年鎌倉市生まれ。2012年9月より東日本支援全国ネットワーク(JCN)福島担当として福島県に在住。2017年4月より富岡町に移り、ふたば地域サポートセンターふたすけのセンター長。2021年3月より原子力災害考証館furusato運営。すずめ好き。