about 私たちについて

西暦713年に書かれたとされる『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』には「陸奥国石城郡(むつのくにいわきぐん)の苦麻(くま)村が最北端」と記されています。おそらくそれが、現在、帰還困難区域の更に中間貯蔵施設に含まれている熊川地区の一番古い記録だと思われます。団体の登録住所である大字熊川字久麻川の「久麻」の由来は「苦麻」だと聞いています。

また、縄文時代から集落があったことをうかがわせる土器や石器も多数出土していて、昔から生活環境が良い地域だったことをうかがわせます。 諏訪神社については、戦国時代に武田氏に滅ぼされた諏訪市の落人が地元住民にとけ込みつつ建立されたものと思われます。そこでは毎年お盆に、五穀豊穣を願い約200年にわたって熊川稚児鹿舞が奉納されてきました。

半農半漁で生活が成り立っていたこの地域は、戦後の高度経済成長期に大きく変化します。農閑期に首都圏に出稼ぎに行っていた一家の大黒柱は、1971年に稼働を始めた福島第一原子力発電所によって職を得、地域は活気にあふれます。

しかし、2011年3月11日に地震と津波、原発事故が発生。西暦869年の貞観地震や1611年の慶長三陸地震では、多数の犠牲者を出したとする記録が残っているにもかかわらず、東日本大震災時、我々は福島には津波は来ないと思い込んでいました。さらに、原子力発電所は安全だと過信していました。

原発事故によって汚染された地域は、更に福島県内の除染で出る汚染土の中間貯蔵施設に含まれたことにより、土地が奪われ、2045年まで人が生活できない場所に指定されました。

町民が経験した悲しみや後悔を繰り返さないために、東日本大震災と原子力災害による様々な被害と、地域の歴史や文化、日常の記憶を伝えています。 誰かの犠牲の上に成り立つ社会ではなく、命が大切にされる社会を目指したい。 そんなことを実現するのは難しいかもしれません。

大熊未来塾という団体名には、「社会をつくっている一人一人が、あの複合災害の教訓からどう生きていくのかを考えていくことができる未来を大熊町から醸成する」という意味を込めました。 大熊町で表現しづらい教訓を拾い上げ、未来の希望の灯りに変えていきます。

写真提供:
kumagawa-sisimai-1「大熊町写真館」
海開き「大熊町写真館」
震災当時「大熊町写真館」

東日本大震災と津波、原発事故によって大熊町民が経験したことや学んだこと、大熊町の現状を発信しています。防災・減災の観点をはじめ、現代社会の豊かな生活に対して問いを投げかけ、時には各地の被災地や地域の課題も学び、大熊町から「未来を考える」機会を提供します。

1 伝える

講演活動

ご依頼主まで出向いての講演活動
スライドを用いた室内での講演(オンライン、出張講演などもご相談に応じます)
講演料:3万円~+宿泊が伴う場合は宿泊費と交通費実費

※なお、料金についてはお気軽にご相談ください。

フィールドワーク

大熊町の帰還困難区域内での語り部ガイド
実際に現地にお越しいただき、津波の痕跡や原子力災害の影響がのこる場所をご案内します。

※参加は15歳以上の方に限ります。
※原則、依頼者の乗用車に語り部が同乗させていただき、ご案内いたします。
※伝承活動の継続のため交通費、協力金等のご協力をお願いいたします。

2 聴く

聞き書き

故郷を追われた大熊町民を中心に、生活の記憶や歴史、被災体験などを伺い、長期的なアーカイブ活動を実施しています。

地域間交流

社会課題を抱える地域で、体験者や次の世代の伝える活動をしている人々の話を聞き、交流を行なっています。

3 のこす

保存活動

時間の経過とともに変移・回復していく自然環境や津波と原子力災害の痕跡が残る場を保存するための働きかけをしています。
・津波と原子力災害の痕跡が残る場
・震災前の町民の営みの場や文化施設
・震災後に生まれた植物や動物たちの営み

情報発信

・年1回の機関紙SoIL311(※)の発行
・ホームページに不定期でお届けするコラム
※第4号以降、法人の報告書として発行します。

2011年3月11日。東日本大震災の津波で、私は家族3人を犠牲にしました。更に原子力災害により、犠牲者の捜索も出来ない状況が生まれ、特に当時小学1年生だった次女汐凪(ゆうな)の遺骨発見には5年9か月を要し、今も彼女の体の8割は見つかっていません。

2014年には事故を起こした原子力発電所の周囲が除染土を2045年まで保管する中間貯蔵施設エリアに指定されます。自宅も捜索現場も含まれる私の故郷の大地は、国によって地権者から買収されますが、私はそれに応じていません。そこには、未だに津波の痕跡が残る建物や原子力災害の影響を感じさせる場と共に、汐凪の遺骨も残されている。ある意味、復興から取り残されたこのエリアは、だからこそ震災を自分ごととして感じえる貴重な場になっていると考えます。

震災の痕跡と共に、数百年続いた地域のお祭りや神社仏閣、祠やお地蔵さんなど、この地域の震災前の営みを感じられる場も守りつつ、東日本大震災の教訓を伝承、継承するアーカイブフィールドとして守っていくこと。それがこの地域の価値を高めるものと信じています。

大熊未来塾代表理事 木村紀夫

1965年、福島県大熊町の熊川地区に生まれ、東日本大震災まで両親、妻、2人の娘と共に暮らす。
震災時の津波により父と妻、次女汐凪(ゆうな)が犠牲になった。更に自宅の北4キロほどのところにあった東京電力福島第一原子力発電所の事故により、捜索が阻まれ、特に汐凪の遺骨発見まで5年9か月を要した。未だ遺骨の8割は見つかっておらず、捜索は継続中。その傍ら、自分の経験から次の災害で命が失われないこと、誰も犠牲にしない社会の構築について考える語り部活動を続けている。

「大熊未来塾」は、皆様のご寄付により活動を継続しております。
皆さまのお力添え、どうぞよろしくお願い申し上げます。