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大熊未来塾では、2022年、2023年の2年間で、石巻や沖縄、広島、水俣に視察訪問しました。その中でいただいたご縁やつながりをもとに、大熊町の「伝承の仲間づくり」の賛同者をお招きし、サミットを開催します。震災と原子力災害を経験した大熊町だからこそ、直線的な防災・減災を越えて伝えられることを考えます。登壇者は事前に町内をまちあるきし、「のこす」「伝える」こと、また重要となるそのプロセスについて、各地の相違点を踏まえて議論します。
日時
2024年02月11日 (日) ~ 2024年02月11日 (日)
13:00~16:00
会場
Linkる大熊 多目的ホール
チラシダウンロード

主催:一般社団法人大熊未来塾
協力: 認定NPO法人Dialogue for People
後援 :福島県、大熊町、大熊町教育委員会、おおくまふるさと塾、公益社団法人3.11メモリアルネットワーク

 

プログラム

【第1部】 話題提供
発表:大澤菜穂子さん(水俣・からたち)

【第2部】
パネルトーク(1)
登壇:佐藤敏郎さん(石巻・大川伝承の会)
多賀俊介さん(廣嶋・ヒロシマ・広島を歩いて考える会)
木村紀夫(大熊町・大熊未来塾)

パネルトーク(2)
登壇:大澤菜穂子さん(水俣・からたち)
安里拓也さん(沖縄・株式会社さびら)
秋元菜々美さん(富岡町・地域コーディネーター)

総括
登壇:木村紀夫、佐藤敏郎さん(石巻・大川伝承の会)
進行:認定NPO法人Dialogue for People

登壇者プロフィール

大澤 菜穂子さん(からたち)
水俣生まれ水俣育ち。30代半ばで水俣に帰省。親から引き継いだ「からたち」を運営している。2013年~2016年には、柑橘の販売をしながら、水俣を訪れる修学旅行・学習旅行・企業研修・海外団体受入れ(年間約4,000人)のコーディネーターにも携わった。小さい頃から水俣病患者さんと時間を過ごし、年々身体が悪くなる姿、亡くなっていく姿を見ながら、水俣病が過去のものになるのではないかと危惧しながらも、水俣の無農薬のみかんに想いをのせて販売している。

佐藤 敏郎さん(大川伝承の会共同代表)
宮城県石巻市生まれ。元中学校教諭(国語・防災)。東日本大震災当時は、宮城県女川第一中学校(現在の女川中学校)に勤務。震災後は女川中学校、矢本第二中学校で防災を担当。震災で当時石巻市大川小学校6年の次女を亡くす。 現在は、大川小学校での伝承活動の他に、全国で講演活動を行う。2016年矢本二中の卒業生と「16歳の語り部」(ポプラ社)を刊行、「平成29年度児童福祉文化賞推薦作品」を受賞。
現在は(一社)Smart Supply Vision理事、NPOカタリバアドバイザーの他、ラジオのパーソナリティーとしても活動。

多賀 俊介さん(廣嶋・ヒロシマ・広島を歩いて考える会)
1950年広島県呉市生まれ。広島のカトリック系中・高等学校で社会科地理教員として勤務し2010年定年退職。平和教育カリキュラム作りに携わるなかで、特に、現場で感じ考えるフィールドワークの大切さを生徒に伝えることに取り組み、被爆建物や軍都遺跡をめぐるフィールドワークを重ねてきた。2011年から平和記念資料館のピースボランティアガイドとなり、その縁で、最大級被爆建物であり陸軍施設であった旧被服支廠の保存運動に、そこで被爆された方を手伝う形で取り組んできた。また、平和記念公園が被爆前までは賑やかな街であったことを示す「被爆遺構展示館」建設時では市民団体代表として関わった。

木村 紀夫(一般社団法人大熊未来塾 代表理事)
福島県大熊町に生まれる。東日本大震災の津波により家族3人を犠牲にし、更に原発事故によりその捜索も阻まれる。次女汐凪(ゆうな)の遺骨発見まで5年9か月を要し、未だその8割は見つかっていない。定期的に続ける捜索の他に、中間貯蔵施設に含まれてしまった自宅周辺を案内しながらの語り部活動を大熊未来塾として継続。自身の経験から「防災」と「豊かな現代社会への疑問」を自分事として考えてもらうきっかけを提案している。

安里 拓也さん(株式会社さびら 教育旅行チーム/ファシリテーター)
1998年生まれ、沖縄県出身。沖縄国際大学卒業。大学1年生の時にベトナムにてベトナム戦争について学んだことをきっかけに、79年前、日本で唯一の地上戦により約20万人が亡くなった沖縄戦を学び伝え、ともに考える平和学習を開始。現在は株式会社さびらにて、学生から大人までをそれぞれに合わせたカタチで、沖縄戦や基地問題を様々な視点から考察するワークショップや平和ガイドなどを行っている。2023年10月より琉球新報の教育コラム連載「いっしょにいっぽ」にて平和学習に関するコラムを執筆中。

秋元 菜々美さん(地域コーディネーター 領域:文化/芸術・教育・観光)
福島県富岡町出身。東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所事故で中学一年生の時に被災。実家のあった夜の森地区は2023年4月1日に避難指示が解除された(現在実家は更地になっている)。元富岡町役場職員。高校時代に演劇と出会ったことを契機に、環境によって変化する人間の知覚や心の揺れを捉えた活動を始める。学生やアーティストを対象とした富岡町のツアーガイド、教育・創作における双葉郡地域でのコーディネートのほか、演劇に関わること、随筆も行う。2020年よりアーティストインレジデンスの拠点として「POTALA-亜窟」を整備・運営をしている。