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2025年8月25日の木村汐凪さんの誕生日に寄せた文章です。

2023年に、東北大学から言語学の修士課程を取得後、インバウンド観光に取り組んでいる双葉町の会社に就職した。それを機に、浪江町に移住し、現在も浪江に住みながら福島沿岸部の現状をどのように伝えられるかを日々考えながらツアー造成をしたり、ワークショップ等を設計している。

木村さんに初めて会ったのも2023年のことで、中間貯蔵施設の中を案内していただいた。私は2021年から双葉町を含めて浜通りを訪れることが多くあったため、復興やまちづくりには多様な角度があり、文脈があると知っていた。しかし、その日に初めてここで起きたこと・起きていることを他人事ではなく、自分ごととして捉えるようになったと思う。

木村さんが社会に対してかける問いについては、自分も考えなければならない。ガイドとしても、来てくれる人たちに「考えること」を持ち帰ってもらわなければならない。汐凪(ゆうな)ちゃんの遺骨が見つかったところで手を合わせ、そう誓った。

その後、木村さんの逐次通訳を頼まれるようになった。翻訳・通訳を様々な形でやってきているが、言葉が持つ重み、その裏にあるニュアンスや通訳者としての責任感について改めて考えさせられた。「復興」を語る時に、単純に「Reconstruction」と訳して良いのか。物理的な様子と心理的な様子、その一つの語彙で伝わっているのか。ひょっとして、そこに何か他の単語を追加して説明する必要があるのか。10回以上通訳をさせていただいているが、今でも正直なところ改善したい点が多くある。良い通訳者になるためには、まずは良い聞き手にならなければならない。そう思って、私はいつも汐凪ちゃんの心に少しでも近づけようとしている。

2025年8月24日に、汐凪ちゃんの22歳のお誕生日を祝うコンサートに参加させていただいた。崖の上のポニョを歌ったり、詩を書いたり、終わりにスイカを食べたりして穏やかな夏の日だった。そこにいたことによって、心が一度真っ白にされ、その日だけの色に染められた気がした。夕方はツアーのお客さんがいらっしゃるということで、イベント後すぐ成田空港に向かったが、電車の旅で「向かうこと」について考えていた。これからの人生、どこに向かって、何に向かって行きたいか。ここで仕事をする意味は、言葉で表現するのはおそらく難しいと思うが、この場所が何よりも信じることを私に教えてくれたように思う。「何を信じるか」はまたそう簡単には答えられないが、歌のメロディーに乗っていくような、詩を書いた空模様のレターペーパーに憩っているような何か。

その日に書いた詩の一部を挙げたい。

「...boundaries can be as fluid as people,
A childhood playground shapeshifts into a faraway sea
And my grandfather’s voice into all of our poetry」

「境界線も人も柔軟性はあるだろう。
子供の頃遊んでいた校庭が、今は海に変わり
おじいちゃんの声が今日いる私たちのポエトリーへ変わる」