
【報告】みどりっこ復活にむけて~遺構と地域の未来を語り合う場 第1回~
2025年7月26日開催
今年度は、「考える場」企画の特別企画「遺構と地域の未来を語り合う場」を実施しています。
第1回は7/26(土)にLinkる大熊にて開催しました。
会場参加47名、オンライン参加9名の合計56名(内20名が震災前からの大熊町民または震災以降からの大熊町民)にご参加いただきました。お忙しい中、ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。
本企画は、熊町小学校等の遺構保存・活用について、「保存」か「解体」かの単純な二択ではなく、より多様な意見や想いを共有し、現在生きている人たちや次世代にとってどのような影響をもたらすのか、またはどのような価値があるのかを共有する場です。まずは多くの声を集め、今後、大熊町教育委員会が設置する、町民、行政及び学識経験者等で構成する会議体における、中間貯蔵施設内の遺構検討の議論がより充実したものとなるよう実施しています。
(企画実施の背景については、本記事の最下部に記述)
【事前フィールドワーク】
ワークショップにおいて参加者同士の情報量の差を軽減するため、午前中に熊町小学校、熊町児童館、熊町幼稚園を現地視察しました。希望者26名に参加いただきました。
遺構の検討の対象となる熊町小学校等の施設は、帰還困難区域および中間貯蔵施設内に位置しているため、普段目にすることが難しい状況となっています。
また、2020年代に避難指示が解除予定の帰還困難区域と、2045年まで避難指示が解除されない中間貯蔵施設があることを紹介するため、熊町小学校卒業生のご自宅にも案内いただきました。また、避難指示の解除により建物の解体が相次ぐ傾向から、大熊町の震災前の面影が次第に感じにくくなってきているという大熊町民の思いも共有されました。
参加者からは、「原発事故の悲惨さを、身をもって知ることが出来た」「教室や樹木ひとつひとつにもさまざまな思い出があるため、それらが解体、伐採された場合、ここにあった暮らしを思い出すきっかけが何もなくなってしまうのではないか」などの声が寄せられました。
【ワークショップ】
鎌田清衛さん(おおくまふるさと塾)からの話題提供のあと、グループワークを実施しました。
◎話題提供
まず、熊町小学校卒業生である遠藤瞭さんから、大熊町の帰還困難区域の変移や、中間貯蔵施設内に位置する熊町小学校等について大熊町による遺構保存活用検討がはじまっていることについて、情報提供がありました。
次に、おおくまふるさと塾の鎌田清衛さんから「みどりっこ復活にむけて」をテーマにお話しいただきました。「みどりっこ」というのは緑の少年団の取り組みが盛んだったことから、震災前の熊町小学校の創立記念誌のタイトルから抜粋しました。
熊町小学校の歴史では、戊辰戦争で戦場になった時期を経て、明治6年に遍照寺で寺子屋からはじまった大熊町の学校の歴史から、現在に至るまでお話しいただきました。校庭の樹木の状況は、原発事故による避難から14年もの時がたっているため、中には枯れてしまっているものもある状況を紹介されました。
町民がふるさとを思い出すときの「よすが」として、建物だけではなく校庭や景観を再生することの重要性など町民の想いを語られました。たとえ住むことができなくても、帰る場所として重要であるという声が、町民から発信されることの重みを感じます。
◎グループワーク
藤城光さんにご協力いただき、グループワークを行いました。熊町小学校の遺構について考える前に、まずは「のこす理由」を町民や町外の方とともに考えるため、ワールドカフェ形式で、できるだけ多くの方と意見を共有する機会としました。
原子力災害の影響が続く大熊町で「わたしはなにを大事にしたいのか」という問いと、中間貯蔵施設の利用が終わる年の2045年を迎えたときに「その時代の人たちに、わたしは何を伝えたいだろう」という問いをテーマに意見交換を行いました。
しかし、予定していた問いに沿った意見交換よりも、熊町小学校にどのような価値があるのかを中心に、意見が共有されました。最も多く挙げられた価値は、「ふるさと」としての価値、次に「次世代や全国の人と原子力災害を伝え・考える場所」としての価値でした。
震災前に住んでいた地域が中間貯蔵施設または帰還困難区域に含まれ、自宅を解体している町民たちからは、熊町小学校等の震災前からの建物が「町に帰ってきたときに自分のふるさとだと思える場所」という「ふるさとを思い出すことができる場所としての価値」が多く共有されました。
また、富岡町など同じように帰還困難区域を経て解除した地域からの参加者は、「母校は遺構保存の議論にもならずに解体したからうらやましい」という声や、避難者が帰還した際に新しいまちづくり・開発が行われている様子から「自分たちの知っている町の姿と大きく異なってしまって悲しいという声も実際多い」などの声もありました。
また、「体験していない子供たちに原発事故のことを教えるときに、遺構がないと難しい」、熊町小学校等は「震災の記憶と現在の状況を知ったり考えることができる場所である」など、町内や全国の次世代に原子力災害を伝える・非体験者とともに考える機会を提供することの重要性について指摘する意見も、町内外の方から挙がりました。
「もし客観的な価値が見つからなかった場合、それがないから解体していい問題なのか?」「大熊町の魅力があったはずなのに、何を語るにも原発事故や廃炉の話になることのもどかしさ」などの葛藤の声も共有されました。
このように、故郷が帰還困難区域や中間貯蔵施設に位置する町民として、自宅を解体して町外での避難または定住が進む中、熊町小学校等の遺構があることで、ふるさとを思い出し、唯一「帰ってきた」と思える場所になるという声は多く挙がりました。町外出身者も共鳴するように同様の意見が挙がっていたことから、誰しも小学校に通っていた幼少期を経験しており、熊町小学校があることで町民の経験や葛藤を想像しやすいものにしていると感じました。
地域やふるさとを守る存在意義と、未来世代にとって有益であるという、大きくわけて2つの視点が明らかになった機会となりました。
9月6日(土)開催予定の第2回では、この2つの視点についてさらに掘り下げ、議論を深めていく予定です。
【企画の背景】
東日本大震災被災地などの各地で、災禍を後世に伝えるための遺構整備が行われており、2025(令和7)年度には、大熊町の中間貯蔵施設内の6施設(以下、旧熊町小校舎等)でも、町による保存・活用に向けた検討がなされる方針が報道されています。町は2025年秋頃より、町民や学識経験者を交えた協議会を設置し、町内外の意見をまとめる方針です(「福島民報」2025/4/25他)。
これまで私どもは、町が検討の対象としている旧熊町小校舎等を、津波災害と原子力災害の伝承のための大切な場ととらえ、伝承活動の実践を行ってきました。そこで町の検討に先立ち、旧熊町小校舎等の保存・活用について、「保存」か「解体」かの単純な二択ではなく、より多様な意見や想いを共有するために、特別企画 「遺構と地域の未来を語り合う場」を全4回シリーズで、おおくまふるさと塾とともに開催します。
この特別企画は、旧熊町小校舎等の遺構が、現在生きている人たちや次世代にとってどのような影響をもたらすのか、あるいはどのような価値があるのか、まずは多くの声を集め、共有・発信し学びあいの機会となるよう実施します。また、この企画で共有された意見は、今後の中間貯蔵施設内の6施設の保存・活用の議論がより充実したものとなるよう、町と共有します。
【今後の予定】
第2回9/6(土)ワークショップ
@CREVAおおくま 1階会議室
ゲスト:佐藤敏郎さん(大川伝承の会)
https://okuma-future.jp/news/2025/07/post-260/
第3回10/12(日)ワークショップ
@CREVAおおくま 1階会議室
ゲスト:多賀俊介さん(廣島・ヒロシマ・広島を歩いて考える会)
https://okuma-future.jp/news/2025/08/post-269/
第4回10/19(日)シンポジウム
@大熊町内(調整中)
登壇者調整中、随時更新します。
https://okuma-future.jp/news/2025/08/post-271/
ぜひご友人など周りの方をお誘いあわせの上、ご参加ください!